因果の盲点

こんばんは皆さん。

今日は因果の盲点についてお話します。毎度のことですが、これは完全にぼく自身の勝手な解釈で、どこかの教えの批判とか絶対の真理とか、そういうものではないので誤解無きようお願いします。

結果には原因がある。そんなのは当たり前のことで、大体の人はご存知だと思います。原因と結果、合わせて因果ですね。

さてこの因果ですが、結構誤解されることが多いように見受けられます。

良い事をすれば良い事が返ってきて、悪い事をすれば悪い事が返ってくる。努力をすれば実る、怠惰に生きれば破滅する。まあそんな感じの認識だと思いますが、これ大間違いです。

何故なら、因果の糸は無数にあるからです。

自分自身がこうして今立っているのは、自分自身が耐えきったから、自分自身が今役職を持っている、または売れてる実業家である、あるいは何かの組織の頭である、それは私の血と汗と努力と苦労の結晶なのだ!

逆に、あー自分は馬鹿だなあ、やっぱ努力しなかったからかなあ、もっと頑張ってれば良かった、今自分がこんなに苦しいのは、きっと自分の責任なのだ。

はい、どちらも違います。

皆さんは不確定性原理の法則という言葉を聞いたことがありませんか?

数学とか物理学にめちゃくそ詳しい人なら何か色々わかるんでしょうけど筆者はよくわかってません。

じゃあ使うなよと思うかもしれませんが、要するにこれって、量子の位置と運動量にはかならずゆらぎが生じるということです。

もっと簡単に言うと、一秒前にそこにあったモノが一秒後に移動する場所は、同じような環境を用意してもバラバラになりますよってことです。

おや、これは妙ですね?

同じ原因があれば同じ結果を生むというのが因果の考え方ですが、現実はそうはなりません、何故でしょう。

答えは簡単です。同じ原因なんて存在しないからです。同じ原因が無いから同じ結果が無いのです。

何故同じ原因が無いと言えるのか?簡単ですね。
万物流転(パンタレイ)、あるいは諸行無常ってやつです。

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、このパンタレイを「誰も同じ川に二度入ることはできない」と言い表しました。

マクロな世界だと、どうしてもソコにあるモノは常に一定であり、静止しているものと思ってしまいますが、ミクロの世界を覗くと、静止している固体物質であっても激しく運動しており、液体なんて信じられない速度で運動していて、気体なんて訳わからんスピードで運動しています。

えー、でも壁とか床とか岩とかはずっとそこにあるじゃないか、全然移動していないよ、と言う方。

動いてるんですよ、変化もしてます。目に見えないほど小さい変化だから気付かないだけなんです。

つまり目の前にあるものは、目を瞑って再び目を開けた時にはもう全く別の物に変わっているです。だから「同一の原因」というのは有り得ません。

なので同じことをしても、結果が一致しないのです。

中国の故事に「人間万事塞翁が馬」というものがあります。

国境の塞(とりで)に近い所に住んでいる人で、占いが得意な人がいた。その人の馬がなんの理由もなく、異民族の地域へ逃げてしまった。人々がみんなで彼を慰めた。するとその占いの得意な父親が、「馬の逃げたことが福になるであろう。」と言った。数か月すると、逃げた馬が、異民族の名馬を連れて帰ってきた。人々がお祝いを言うと、父親は、「このことが禍(わざわ)いになるであろう。」と言った。その家には良い馬が増えたので、息子は乗馬を好み、乗っているうちに落馬して股(もも)の骨を折ってしまった。人々がお見舞いに行くと、父親は、「これが福となるであろう。」と言った。一年たつと、異民族が塞へ攻め込んできた。若者たちは、弓を引き戦った。そして塞近くの人は、十人中九人まで死んだ。ところが息子は足が悪かったので、兵役に駆り出されず、父親と共に無事だった。このように福が禍いとなり、禍いが福となる、その変化はとうてい人間の知りうるような浅いものではなく、その深さは予測できないものなのである。

出典:三省堂辞書ウェブ編集部/ことばのコラム/塞翁が馬 より抜粋

こんな偶然も、割とあるものです。

もちろん偶然も原因があってのことですが、その原因はとても多岐に渡ります。

で、こんな偶然、何度も同じように起こると思いますか?
思えないですよね。はい、起こりません。

人が何かに成功した時、その人だけの努力で成し得たことではありません。様々な人に助けられた結果、その人は成功したのです。

人が何か失敗した時、その人だけの責任というわけではありません。様々な要因が折り重なって、たまたまその人がその時にそれをしたことで失敗をした、ということも多いのです。

だから人は驕り昂ぶってもならないし、自分を卑下してもならないのです。どちらも同じ傲慢です。

自分に出来ることも出来ないことも、この宇宙全体からすればとてもちっぽけなものなのです。

あ、だからと言って努力が無駄とかそういう意味じゃないですよ。努力も積み重ねれば自分の力になります。ただ、努力すれば必ず報われ、必ず良い結果が出るとは限りません。

1人だと食糧すらまともに入手出来ないけど、100人集まれば大抵のことは何とかなり、1000人集まれば思いもよらない結果を生み出し、100万人も居れば超複雑な大都市の建造、運営だって可能になるんです。

因果は常に一つではなく、無数あるのだという、お話でした。


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