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「子ども」から「死」が垣間見えるとき
自己紹介で「小児科医です。」というと、
「子ども好きなんですね」
「子ども可愛いですもんね」
とよく言われる。
それは全く否定しないけど、そう言われると僕は
「まあ、、、そうですね。」
と少し躊躇いがちな返答になる。
ちなみにそのように言ってくる相手は医療者以外の人だ。
別に責めているわけでなくて、単純にイメージが湧かないのだろうなと思う。
なので今回はその躊躇いの理由が伝わるエピソードを書いてみようと思う。
※プライバシー保護のため、事実をベースに内容を一部改変しています。
○落ち着いた救急外来にて
その日、僕は当直をしていた。
いつも当直は忙しないが、珍しくその夜は落ち着いていた。
夜20時を回っており、医局でそろそろ飯でも食おうかと考えていた頃、ピッチが鳴った。
救急外来の看護師からだった。
「先生、患者さん来ました。なんか熱っぽくて体がだるいそうです。」
タイミング悪いなと思いつつも、二つ返事ですぐに救急外来まで降りて行く。
母に連れられてやってきた患者さんは5-6歳の女の子だった。
その子は母と楽しく談笑しながら自分で歩いて診察室に入ってきた。
本当に具合が悪ければ笑う余裕はないし、歩くこともできないことも多い。
看護師による事前の問診によれば、
主訴は「発熱」。体温は37.6℃。
(微熱だし、風邪でも引いたんだろうな。
これならすぐ家に帰せそうだ。)
そんな風に思いながら、挨拶の後に母から話を聞く。
「もうだいぶ前から熱を繰り返していて、、」
母が徐に話し始める。
僕はカルテに内容を打ち込みながら、いつもの調子で聞き返す。
「だいぶ前からってどのくらい前でしょうか?」
「数ヶ月前ですかね。体重も減ってきてるんです。
風邪が長引いてるだけだとは思うんですけど、
だんだん具合が悪くなってきてるみたいなので今日来ちゃいました。。」
そこで思わずカルテを打ち込む手が止まる。
普通の風邪ならそんなに熱が続くことはありえない。
あるとすれば、いろんな風邪を立て続けに誰かからもらっているパターンだが、それで体重は普通減らない。
改めて本人に目をやると、顔色がやや悪くどこか元気もない。
嫌な予感がした。
一通り話を聞き、診察にうつる。
口開けてもらい喉を見る。少し赤い印象。
これだけでは風邪なのかどうかなんとも言えない。
次にリンパ節を確認するために首を触る。
僕はいつもより緊張した手つきでその子の首に触れた。
触れた瞬間、僕の嫌な予感は確信に変わった。
リンパ節について少しだけ。
免疫細胞(体に侵入したウイルスや菌を倒す細胞)を兵士に例えたとき、リンパ節はその兵士の駐屯所のようなものだ。
リンパ節はどこで感染が起きても兵士がすぐに対応できるように、体の至る所にたくさん存在する。
例えば喉の風邪を引くと、喉のウイルスを倒すために免疫細胞が活性化し首のリンパ節に集まってくる。そこは腫れて痛くなる。
風邪をひいたときに首を触ると痛いことがあるのはこのためだ。
このようにウイルスや菌によるリンパ節の腫れは「痛み」を伴うのが特徴だ。
その子のリンパ節はゴリゴリに腫れていた。
腫れが首だけに留まっていたならよかった。
しかし実際には腫れは鎖骨のリンパ節にまで及んでおり、左右合わせて10個以上、通常の数倍以上に大きくなっていた。
しかもどんなに触れても本人は「痛くない」と言う。
さっき言ったように感染に伴ってリンパ節が腫れたなら、普通は痛くなる。ここまで腫れていたらなおさらだ。
痛くないのに腫れてるってことは、感染以外に「別の原因がある」ってことになる。
この年齢で、リンパ節が複数腫れていて、微熱と体重減少が続いている。
そこで僕がすぐに思い浮かぶ病気は1つしかなかった。
これは小児にも起こりうる癌の1つで、簡単に言うと免疫細胞が無駄に増え過ぎてしまう病気だ。
その結果、免疫細胞の駐屯所であるリンパ節が腫れる。
癌と言うと、胃とか大腸とか膵臓とか、
特定の「臓器」にできるものだけだと思われるかもしれないけど、
癌の本質は「細胞の異常増殖」だ。
つまり臓器を構成する細胞だけでなく、
血液成分の細胞(今回は免疫細胞)が異常に増えてしまうのも広い意味での癌ということになる。
話を戻そう。
僕は一通り身体診察を終えた後、腹部エコーを行うことにした。
体の表面だけではなく、体の中のリンパ節が腫れていないか見るためだ。
しかし当の本人も母も、まさか僕が癌を疑ってるとは微塵も思っていない。
「熱の原因をもう少し調べたいので、エコーも当てさせてください。」
こちらの動揺がバレないよう、平然を装ってそう伝えた。
本人に横になってもらい、エコーの準備にとりかかる。
その間も本人は
「そういえばこの前学校で○○ちゃんがさー」
などと母と他愛のない話をしている。
「それじゃあエコーを当てますねー。。。」
エコーを当てて数秒と経たない内に、
覚悟はしていたがあってほしくなかった所見が見て取れた。
ちょうど肝臓付近にある複数のリンパ節がこれでもかというくらいに腫れており、ブドウの房のようになっていた。
悪性リンパ腫を疑っているのであれば、
お腹の中のリンパ節が腫れているのも不思議ではないと思うかもしれない。
確かにその通りだが、悪性リンパ腫の発症初期では、腫れるリンパ節の範囲が狭い。
首なら首だけ、お腹ならお腹だけ、というように。
悪性リンパ腫は進行度合いによってステージがⅠからⅣに分かれる。
心苦しいことに、
首のリンパ節もお腹のリンパ節も腫れている時点でステージはⅢ以上であることが確定する。
もちろん、まだ悪性リンパ腫と決まったわけではない(診断はリンパ節を生検し、細胞を直接顕微鏡で見ないと確定しない)し、
悪性リンパ腫だとしても種類は様々で予後が良いものも存在する。
ただし、僕は血液の病気の専門ではないので正確なことは言えないが、
たった数ヶ月で母の目にも分かるレベルで具合が悪くなるのは、決して良いとは言えないタイプだと予想がつく。
早く専門の病院に見せないと。。。
「先生まだー?」
そんな僕の焦りや絶望などいざ知らず、その子は悪戯な笑みを浮かべながら、体をバタバタ動かして僕に訴えてくる。
母も笑いながらその子をなだめる。
「あーごめんごめん、もう終わるよ」
その場の空気を壊さぬように作り笑いを浮かべながら、その子に声をかける。
今はまだ何も言えない。
診断が確定したわけでもないのに唐突に癌の可能性を伝えるのは、本人や母を不用意に怯えさせるだけだからだ。
そういう行為は一般に良しとされていない。
でも本当のことを言えば、
倫理的に良しとされていようがなかろうが、
癌の可能性をこの場で伝えることで、この2人から笑顔を奪う勇気は僕にはなかった。
「熱の原因を調べるために血液の検査とレントゲンを撮ります。」
結局そう伝えて検査を一通りした後、
入院の必要はないが、リンパ節が腫れていることついてはいろんな病気が考えられるので詳しい検査が必要なことを伝えた。
母からは特に質問はなく、
「分かりました、遅い時間にありがとうございました。ほらちゃんとお礼言いなさい。」
「ありがとうございましたー」
と去り際に感謝を伝えられ、2人は診察室を出て行った。
嘘は何一つ言っていない。
ただ本当のことも言っていない。
どうにもやりきれない気持ちになった。
そんな暗い気持ちのままカルテを書き終え診察室を出た。
救急外来の待合席にいる患者は、大人も含めて相変わらずまばらな数だった。
数十m先にある会計の待合席の方に目をやると、さっきの2人が座って会計を待っているところだった。
ちょうどそこに2人と同年代の親子が近くを通りかかる。
その瞬間、
「あ!○○くん!!」
とその子が嬉しそうに駆け寄っていく。
母も笑顔で、
「偶然ですね!○○さん、体調は大丈夫ですか?」
と男の子の母親に話しかける。
「実はちょっと私に偏頭痛がありまして、、お父さん今日遅いからこの子も連れてきたんです。
でも良くなったのでもう帰るところです。
○○ちゃんは大丈夫ですか?」
「はい、こっちも今日はもう帰ります。」
母親同士で話している間も、その子と男の子は楽しそうにじゃれあっていた。
どうやら仲良しの友達にたまたま遭遇したようだった。
女の子の母が先に会計を終えた。
帰る間際に女の子は
「じゃあまた明日ね!」
と言って男の子に手を振っていた。
僕はなぜかそこから目が離せず、
病院のドアから2人が出ていき、姿が見えなくなるまでぼーっと立っていた。
○それから
数週間して紹介先の病院から返書が届いた。
それには以下のように書いてあった。
「この度はご紹介ありがとうございました。
患者様ですが、ご指摘の通りーーー。」
これ以上はもう書かなくても分かるだろう。
癌の疑いを見つけ、専門医に紹介する。
僕の当初の疑いは正しく、その後の対応も医学的に落ち度はおそらくなかったはずだ。
それでも心はもやもやした。
あの子の未来を脅かす暗雲と、
それをまだ知らなかった2人の日常のやりとり。
あの日目の当たりにした大きなギャップに、
罪悪や絶望の入り混じった違和感が残った。
医療者でもない限り、それまで健康だった「子ども」と「死」を結びつける人はまずいない。
というかそれは僕らでさえそうだ。
基本子どもの病気は良くなると思っている。
それゆえに、
子どもに「死」が忍び寄ることへの無防備さが誰もにある。
そして、皮肉なことにその無防備さが迫りくる死をより際立たせてしまう。
そこまで分かっていてもそれを目にするのは未だに嫌だし、怖くもなる。
その後僕は別の病院に異動したため、結局あの子がどうなったかは分からない。
もしかすると治療が上手くいって今は元気にやっているかもしれない。
そうであることを心から願う。
今でも救急外来をやっていると、あの日のことをふと思い出す。