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「マイケル・K」 II J.M.クッツェー (あらすじ概略あり)

「マイケル・K」I で〈消極的抵抗〉について書いた。デモやストライキなど、暴力によらない抵抗運動を指す。わたしからすると、意味的にはそれも十分、積極的抵抗に感じたが、マイケル・Kの〈消極的抵抗〉は日本語の〈消極的〉の意味に近く思う。

打ち捨てられ荒廃した農場にたどり着いたKは、貯水池の周りを耕し、見つけた豆やカボチャの種を植える。小さな鳥を石つぶてのパチンコで獲り、それを食す。あるとき、その農場の持ち主だという孫が現れる。脱走兵で、そこに彼がいることは絶対の秘密。彼はKの作った畑を発見し、じゃがいもでもなんでももっと植えればいいと言い、あるとき、Kにお金を渡し、街で買い物をするよう告げる。(概略)

Kは畑が見つかったことに落胆を覚え、貯水池からの水やりをやめる。そして、お金を農場の入り口付近に埋め、街へ向かう。

命令に従わない意志の表明。

逃げたとも読めるけど、これはKの強い抵抗だと感じる。この前段に強制的に労働させられる場面があり、そのときは「なぜここで働かなければいけないのか?」と言ってみるが、従わざるを得なかった。この場面との対比が、静かな抵抗の意思、従わない人間になったKを浮かび上がらせる。

圧政や理不尽な格差の中で、あきらめて、こんなもんだろうと、なんとなく日々をやり過ごしていた序盤のKが、抵抗を見せるようになった〈転機〉は、まだわたしには判然としていない。ある大きな事件も起きたが、それ自体か、飢えとそのための行動が鍵なんだろう、たぶん。

社会への抵抗は、それとわかる闘いによって示されないと意味がないように考えがちだけど、個人の静かな抵抗は目に見えない内なるものとしてあっていい。特に社会全体と自分の折り合いがつかないなら、意志による抵抗しか道がない。西洋には明確な意思表示をする抵抗のイメージを持っていて、こんな静かな抵抗は東洋的考え方かと思えていたが、案外そうでもないのかもしれない。

この先が楽しみになる展開。おもしろい。

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春野風子
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