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ホワイトウォッシング : 「Why I'm No Longer Talking to White People About Race」 II :Reni Eddo-Lodge
著者はアフリカ系イギリス人。アフリカ系の人たちの公民権運動や差別への抗議運動について、アメリカの話ばかり習い、大学でイギリスの有色人種について知ろうと勉強する。
わたしは偶然にもブラジルの人種差別の新聞記事に出会った。
ホワイトウォッシング
2020.06.25、Le Mondeにブラジルの国民的作家 Machado de Assis (マシャード・デ・アシス)が実はアフリカ系だと、あまり知られてこなかったという記事が載った。Le Mondeが取り上げたのはいまだったけれど、このことは少しずつは知られていたようだ。記事はマシャードについての論文を書こうとした高校生が、彼について調べていて初めて知った、という話から始まっている。ネットで名前を検索すると写真が出てくるので見てみて欲しい。ここまでするか、と思ってしまった。アフリカ系の父、ポルトガル系の母を持つ彼の実際の写真が、白人のように加工されて彼のプロフィールに使われてきたことがわかる。いわゆる〈ホワイトウォッシング〉である。記事によれば、19世紀末、彼の才能が開花すると白人知識人層に知られるようになり、それに伴い彼が白人であることが求められるようになっていった。1908年の逝去の折には〈白人〉として公的に記録された。マシャード作品は邦訳がないようで残念。彼がアフリカ系であるとわかると、作品のアイロニックな描写にさらに深い意味が加わり、その素晴らしさが増すようだ。21世紀に入って左派政権の下、ホワイトウォッシングされていたアフリカ系の人たちのオリジナリティの復権が進んだが、現在のボルソナロ政権下ではまたホワイトウォッシングをする傾向に逆戻りしつつある、とのこと。
優れた才能は白人が持っている、という馬鹿げた考えに寄って、多くの有色人種がその才能を無視されたり、ホワイトウォッシングを受け入れることで才能を発揮できたり。そんなことが行われ、いまもなおそういう価値観で生きている人たちがいる。キリスト教布教や植民地化で世界中に白人が進出し、先住民族を迫害したり奴隷化したことが各国での人種差別に至った元凶なのに、ナチズムを批判しようと、少数民族迫害を批判しようと、西洋諸国自体の帝国主義的、白人至上主義的行為が止まない。
戦争にも人種が関係する
戦争や紛争にも敵とした国の人種が大きく関わっている。日本はアジア諸国に対して優越意識を持つことで西洋の帝国主義に対抗しようとした。「日本は人種差別撤廃を唱えた最初の国だ」と第一次世界大戦終戦時の人種差別撤廃を巡る議論を持ち出す人がよくいるが、あれは〈日本人〉を他の有色人種と一緒にしてくれるな、という内容で、日本人が差別されなければ他の人たちはどうでもいいという表明だった。疑う人はよく調べてみたらいい。西洋諸国も白人国家や居住地域にはしないことを他の場所でしてきた。核兵器の開発実験はその最たるもので、差別意識なくしてあり得ない。犠牲になったのは少数民族や有色人種で、それで作った兵器を「国の安全のために持つのは仕方がない」と言う。そんなに欲しいなら白人のたくさん住んでいるところで実験してみたらいい。どんな人たちを犠牲にし、どれだけ環境を破壊したか、考えもしない。
差別の連鎖
悲しいことに差別を受ける者同士が差別をし合う。スパイク・リーの映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」はそれをうまく描いている。映画では特には描かれないが、白人の登場人物もイタリア系で虐げられていたことも念頭におくと、差別構造はより混沌としているとわかる。
#BlackLivesMatter のおかげで差別構造の一つを新たに知ることができた。日本が朝鮮民族に強いた創氏改名もアイデンティティを奪うという意味で、ホワイトウォッシングと同じ意味も持つなと思った。
このアフリカの女の子を白い肌にする必要がある?想像しただけでとても悲しい。
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