わたしが生きるのが楽になったワケ ~執着の手放し方~
最近、生きるのがものすごく楽になった。
幼い頃から生きづらさがずっとあって、
いつも、うっすらとモヤがかかったような苦しさが消えることがなかった。
ここ数年は当たり前に幸せだという感覚も
通奏低音のようにあるのを感じてはいたけれど、
苦しさのモヤの方も消えてなくなることはなく、
幸せな感覚と苦しさが同居しているような状態だった。
そんな状態が最近になって明らかに変わった。
モヤがかかったような苦しさが
なくなったわけではないのだけど
それがあることを苦しいとは感じなくなったのだ。
そしてふと
その理由がわかった。
楽になりたい
を手放したから。
わたしが心理学やセラピー、ヒーリングを学んで実践し続けてきたのは
いつもわたしにつきまっているこの苦しさをどうにかしたかったからだった。
けど、何をしてもどうやっても
それがなくなることはなかった。
だからついに
諦めた (笑)
一生このままでも、もうええわ…
ってな感じで降参した。
そして氣が付いたら
あのわけもなくいつもあった苦しさを感じなくなっていた。
ずっと思い続けてきた
この苦しさをどうにかしたい
消したい
なくしたい
楽になりたい
という 『それ』 は
強固な執着だったのだ。
それを
諦めるという形で手放したら
あっさりと楽になる現実が現れたらしい。
『それ』 が執着だとはまったく自覚していなかったから
『それ』 を手放そうとも思いもしていなかった。
ものごとがどうしてもうまくいかないとき
どんなに努力しても実現しそうにないとき
そんなときはたいてい何かに執着しているから。
執着の難しいところは
今じぶんが執着している、ということに
じぶん自身ではなかなか氣付けないことだ。
でもこれは、裏を返せば
『これは執着だ』と氣付くことができれば
手放すことができる、ということでもある。
もしもあなたが今
どうにもうまくいかないことがあるのなら、
そのことで何かに執着していないか
ご自身の内側をよく観察し、
もし執着している何かに氣付いたら
その執着をとことん身体で感じてあげることをおすすめします。
そしてもうすでに
やれるだけのことをやったのなら…
これ、言い換えると
とことん執着したのなら
もうええわー
と、降参してしまいましょう。
藤井風の歌でも歌いながら ♪
執着は執着なだけに
中途半端な執着ではなかなか手放せないから。
だけど
とことんその執着を
頭ではなく身体で
思考を介さずに
言葉に直さずに
感じてあげることでも
手放すことができる。