お盆に会えるおじいちゃん
お盆ですね、皆さん!私はこの前からお墓掃除ばかりです。←と言ってもこの前が父方、今日が母方の祖父のお墓掃除なだけなんですけどね。※またお盆には両方お参りに行きます。
母方の祖父が亡くなったのは私が小学1年生だった1995年3月17日でした。私の父の誕生日です。更に言うと父方の祖父が亡くなったのは3月16日なんです。ただならぬ何かを感じざるを得ません!笑
祖父が亡くなった時のこと、亡くなる前のこと、元気だった時のこと、亡くなった後のこと。全部鮮明に覚えています。私が初孫であり、母は身体が弱かったので、余計に大切にされたそうです。ほんまに?って感じですけどね!笑
なんせ私は弟2人に歳の離れた妹が1人で、4人きょうだいなんです。きっと可愛がられたのは最初の方だけです。すぐに男の子が生まれたので!笑
だけど、おじいちゃんは私にたっぷり愛情を注いでくれました。今でも覚えています。私は小さい頃、両親よりおじいちゃんとお風呂に入っていたからです。おじいちゃんと一緒にご飯を食べて、おじいちゃんと一緒に寝る。
そんな日々は長くは続きませんでした。団地に住んでいた私たちは、近くにおじいちゃんの家もありました。母がおじいちゃんの介護をする為に近くに引っ越してきたのです。
おじいちゃんは動けなくなりました。トイレにも自分で行けなくなりました。母が掃除をしたり、介護をするのを私は見ているだけでした。母はいつも泣いていました。誰も助けてくれないから、やるしかないって私を抱きしめました。父は何もしませんでした。うちの中がぐちゃぐちゃで、散らかっていたら母に怒鳴っていたのを覚えています。
私は本能的にですが、母の方にいき、今度は私が抱きしめました。今考えると泣けてくるのですが、母のお腹には弟(次男)が居たのです。更に私がまだ5歳くらいで、弟(長男)は3歳。母が団地の公園で、夜中にブランコに座って泣いていたのを覚えています。
母がうちの家事をして皆が寝たあと、夜中におじいちゃんの家に行ってお世話をするのを私は知っていました。だけど、いつも玄関の戸が開くたびにもう母が戻って来ないかもしれないと思っていました。ザワザワして眠れないから、私もそっと抜け出して、おじいちゃんの家に行っていました。
大人になってから聞いたのですが、母はどこかに行ってしまいたいと思っていたそうです。おじいちゃんと一緒に。私が来てくれて良かったと言っていました。
私たちがおじいちゃんと一緒に居られなくなったのは、母が弟(次男)を出産する少し前くらいでした。介護施設に入所したからです。病院も併設されており、毎日は行けませんが、父方の祖母の家の近くだったので、よく遊びに行っていました。
母が出産をしてからも、介護施設に居たおじいちゃんは、私たちが行く度に嬉しそうに車椅子で色んな入所者の方の部屋に自慢しに行っていたのを覚えています。生まれたばかりの弟(次男)を抱っこして、看護師さんや、介護士さんに、嬉しそうに見せていたのが印象的でした。
私も弟(長男)も、おじいちゃんが起き上がれない日は、おじいちゃんを真ん中にして一緒にベッドに寝転んでお話をしていました。面会時間は決まっていたし、母も家事をしないといけないから、帰らないといけないのですが、弟(長男)が嫌だと言って「じぃちゃんと寝る!」と泣いた事がありました。離れたくないと、離れたらいけないと、直感で感じていたのかもしれません。
そんなに駄々を捏ねる子じゃないのに本当に言うことを聞かなかったのです。気が付けば私はピカピカの小学1年生も終わろうとしていました。私も弟も、おじいちゃんに会いに行くと、帰りたくないと言うようになっていました。私まで言うので、母は困り果てていたと思います。
おじいちゃんがしんどいからと言われて、やっと諦めて帰る。そして夜中に病院から電話がありました。私はおじいちゃんの夢を見ていたのですが、起きたら病院でした。そして、おじいちゃんは、たっくさん頑張ったから、もうお休みをするんだと言われました。
おじいちゃんは、手を握っても、ギュッとしてくれませんでした。皆が泣いていたのに、私も弟も涙が出ませんでした。おじいちゃんがまだ居たからです。
あんまりしっかりした記憶ではないのですが、おじいちゃんはまだ居ました。うろ覚えなので、正確ではないかもしれませんが、団地の集会所でお通夜とお葬式をするので、3日か4日間くらい集会所におじいちゃんが泊まっていました。私も弟もおじいちゃんの側から離れず、くっついて寝ようとしました。だけど、母だけが一緒に泊まるからと言って、父と家に帰ったのです。
「じぃちゃん、おるよ?」弟が言っていたけど父は何も言いませんでした。それから、大勢の人が来て、誰かわからない大人たちが台所で色々作ったりしていたので、従姉妹と皆で遊んだりテレビを見たりしていました。
そしてお葬式の前の日だったか、当日に、子どもだけでテレビを見ていると、何やらニュース速報に変わり、どのチャンネルに変えても、同じ映像が流れました。地下鉄サリン事件です。
私の記憶の中に、おじいちゃんの命日が地下鉄サリン事件の日だと記憶されていたのですが、私はずっと地下鉄サリン事件が3月17日だと思っていました。命日となると、おじいちゃんが亡くなった日です。大人になってから気が付いたのですが、たぶん私と弟にはおじいちゃんがまだ生きているように感じ取れたんだと思うのです。
火葬に行ってお別れをした後から、私も弟も泣いたのです。おじいちゃんにもう会えないことを知ったんですね。
それからと言うもの、私はお仏壇に手を合わせ、良い事も悪い事もおじいちゃんに報告していました。おじいちゃんは度々、夢に出てきてくれて、いつものカラフルなゼリービーンズを両手いっぱいに分けてくれます。
そんな感じで、母方の祖父のお墓参りはいつも、私が行かなきゃ!と思う瞬間があり、母に言ってすぐにお参りに行きます。去年は次男ファミリーも一緒に行き、兄弟全員と次男のお嫁さんとひ孫達を見せることができました。
それでね、不思議なんですけどいつもお参りする日は雨が降ったり、豪雨予報が出てたりするんです。でも、お参りする時間だけ晴れるんですよね。この前なんて虹が掛かりました。おじいちゃんはやっぱり、お盆に来てくれているんだなって思います。
私の記事を読んで下さっている方はよくおじいちゃんが出てくるなぁと思うかもしれません。笑
そうなんです!私、父方母方関係なく、おじいちゃんっ子なんですよ。更に言うと少し複雑で、私には祖父が3人居ます。またその事についてもお話するかもしれません。
ちょっとマガジン『わたしの宇宙』みたいな記事になったかもしれないのですが、お盆になると思い出すお話を記事にしてみました。
おじいちゃんが買って着せてくれた服だそうです。おじいちゃんはよく、私を誘拐して連れ回していたと母が笑いながら話してくれました。笑
今回も最後までお付き合い頂きありがとうございます。また更新しますね!
peco