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だから僕は信託を辞めた/ぺちシカ


ヨルシカ通ってません。すみません。

…さて、本日6月4日付にて、新卒から3年勤めた某大手信託銀行を退職します。
と言うても最終出社日は去る3月31日やったんで、職場とさいならしてから実に丸々2ヶ月以上経ってるんですけどね。有給消化が43営業日。そんなにあったんか。俺の権利は。

んで、せっかく入った大手企業を、せっかく退職するわけですよ。せや、せっかくやしnoteで退職エントリ書くやつやってみたい!こんな機会でもなけりゃnoteなんか一生触らんのちゃうか!と思い、本記事に至っております。
退職といえば退職エントリ、みたいな思考回路大丈夫かな。俺の知らんうちにとっくに時代遅れになったりしてそう。あとnoteやのにめちゃめちゃ口語体で書いてて大丈夫かな。やっぱもうちょっとカッコつけた文体にした方がいいかな。プロフィールも「思考の書き留め。」とかにした方がいいかな。

いやでも思考の書き留め大事っすよ。忘れるもん。最近は特に。まだ26やけど。すでに退職願出したときのこととか忘れかけてるもんな。


まずお前みたいなもんがなんで信託なんか入ってんねん


って話なんですよ。そもそも。
内定貰ったときの周りの驚きように比べれば、退職を決めた時の周りの反応はそこまででもなかった。「お前はまあ辞めるやろなと思っとった」「ハナからそんなカタい仕事合うてないやろと思っとった」等のご意見を多数頂戴しております。

そこまでブッ飛んだ人格してるわけじゃないと思うねんけど、大学時代に休学してプラプラと世界一周してた時期とかがあるんで(当時のブログもまた見てね)、そんな感じやのに日系大手行くんやってめっちゃ言われた記憶がある。ほぼちょうど4年前。

当時の自分の考えはこんな感じ。

特にさしたる能力もないし、それからやりたいこともないし、(できれば働きたくないし、)であれば、
・面白そうってだけで人が集まってくるような業界は避けて、
・効率よく稼げて、
・安定してて、
・体力的にも拘束時間的にも激務ではなく、
・家族との時間や福利厚生をオイシく享受できて、
・自分が旅行とか行けるまとまった休暇が確保できる

っていう風に狙いを定めていったら今のところやったんですよ。


…当時はね。

ここが本記事最大の自己批判ポイントです。
しゃあないねんけど。当時の全力のジャッジやから。

ここの反省会は追い追いやるとしまして…、


3年なにしてたん

一口に信託銀行というても色んな事業がありまして、半分コングロマリットみたいなもんなんですよ。例えば老人の家に上がり込んで掛け軸とか褒めて孫の話振って投資信託売ったり…、ドでかいビルを安く買って高く売ったり…、誰かの色んな財産を預かって管理しますぅ言うて手数料もろてみたり…、。

そんな中で僕が身を置いてた事業はもっとニッチでして、まあ一言で言うなれば「事務」を売ると言いますか…、ここは掘り下げてもしょうがないんで端折りますけど、とにかくバンキング業務はおろか金融業ともあまり関係のない、手を動かしてお金をもらう手数料ビジネスをやってる事業部にいたわけです。

その事業部の中で、前半の1年半が事務方、後半の1年半が営業部。事業部こそ一つですけど、フロント部隊もバックオフィスも見られたのは良かったといえば良かったすね。ウラを返せば「まあ短い期間にしては一通り見れたかな」と満足してしまったとも言えるけど。


肝心の

辞めた理由ですね。


文句言い出したらマジで死ぬほどあるんですよ。特に、幼少期から文化系一筋で体育会系の組織の論理に免疫のない自分にとっては、後半の営業部の組織での経験に関しては厳しいものがあった。やっぱ理不尽への耐性とか要るなってつくづく思った。就活の面接の時「理不尽なのだけはダメです、体育会系は通ってきてないんで」ってハッキリ言うててんけどな。(言うた相手の採用トップが体育会応援団の出身やったと分かった時点で察するべきやったか)

けどまあそんなことは、心を無にして耐えてれば良いんですよ。少なくとも辞めた時点では、まだ戦えた。しばらくは。最後の方は土日両方朝起きれずに昼過ぎまで行ってたから、あのまま行ってたらヤバかった可能性もあるけど。でもまあまだ戦えはした。


そんなことより重要なことは、ですよ。

さあ、反省会の始まりです。


入社の時に会社選んだ条件を改めて見返してみよう。

・面白そうってだけで人が集まってくるような業界は避けて、
・効率よく稼げて、
・安定してて、
・体力的にも拘束時間的にも激務ではなく、
・家族との時間や福利厚生をオイシく享受できて、
・自分が旅行に行けるまとまった休暇が確保できる

この中の一つを構成する前提が、入社後に完膚なきまでに崩れ去ってしまったのです。

近しい方ならお分かりですかね…?

・家族との時間や福利厚生をオイシく享受できて、


これってそもそも自分が結婚することを前提としてるのわかります?

就活当時の僕って見合い結婚原理主義者やったんですよ。「我々恋愛弱者は全員見合い結婚市場に流れ込むべきである!」とか言うてたんですよ。

ところがね、入社するでしょ。


周りには所謂「ライフステージ」を進めた大人たちがいっぱい居てるわけです。

そういうカタい会社なもんで、結婚して子供つくって育てて、良い学校入れて。ローン組んで郊外に家建てて。車も買って。やがて子供も結婚させて、自分は勤め上げて、いいところでリタイアして、老後はたんまり年金もらいながら孫かわいがって。

全員じゃないですけど、そういうお決まりのイベントを消化するような人生を、少なくとも志向している方々がもうほんまに殆ど全員なんですよ。特に営業部は判で捺したようにみんんんなこの人生観。

これを批判する権利はありません。かくいう僕も入社当時は、そういうイベントはある程度こなしておいて、そういうあるあるな人生設計の枠組みの中で、自分の時間に旅行なり音楽なり自分の思う面白いことやっていったらええやん、という甘い考えを持っていたからであります。


ただね、まあ、その、ここは本当にはっきりと言いづらいんですけど、いや〜〜〜〜〜やっぱりああなりたくない。俺はあれにはなりたくない。急に身近になると、急にその人生設計の甘い部分が見えてくるわけです。具体的な言及は避けますが、「え?毎日そんな肩身の狭い思いを?自分が建てた家の中で?」みたいな話が頻発するわけです。あの〜財布握られてるパターン特にヤバいね。それ自分に人権あるって言い切れる?自分が自由人(奴隷の対義語としての)であるって言い切れる?


例えば人生の主人公たる貴方がサラリーマンの立場で、結婚をするとしよう。

まず貴方の親はどう思うだろうか。
独身だった貴方は身を固める。そしてやがては孫の顔を見せる。
親は喜ぶだろう。

会社はどうだろうか。上司はどうだろうか。
配偶者が居て、子供たちを育てなければならない。
貴方が一生懸命働くインセンティブは増える。
責任も増える。不誠実を働いてクビになるわけにはいかなくなる。
会社もきっと喜ぶ。

社会はどうだろう。国家はどうだろう。
貴方はより一生懸命働く。働いたお金で税金を納める。
残ったお金で子供を育てる。少子化対策にも貢献する。
そしてやっぱり、不誠実を働く可能性がぐっと減る。
社会や国にとっても、いいことずくめである。

子供にとってはもちろん、自分を育ててくれる親である。
配偶者ももしかしたら共働きではなく、
キミが一方的に養う関係かもしれない。
財産が残れば、孫や曾孫にも。

貴方が一生懸命働いて、所帯を持って、子育てをする。
これによって、貴方の関係するみんなが喜ぶ。
こんなにいいことはない。


それで、貴方自身は?





…みたいな意見広告をどこかに出したいぐらいなんですよ。ほんまに。


先の世界一周の話に戻りますが、結婚とかせずに、独り身で生きていくのであれば大概の場合、人生どうとでもなるよなっていうのが当時得た実感なんすよ。


すなわち、会社勤めのサラリーマンを続けるインセンティブが全然なくなっちゃってたわけですね。バイトするなら今の環境の方がマシと思って惰性で続けてた仕事が、これやったらバイトの方が遥かにマシと思える労働環境の部署に来てしまった。これが唯一最大の退職理由。なんやこの退職エントリ。誰の参考になるねん。


参考になる人がいるとすれば、自由を愛する諸君。あなた方だ。
君をあの手この手で結婚させようとする諸勢力と断固闘い、我々と一緒に真の自由を手にしようではないか。


というのは些か思想的としても、仕事をこれから選ぶ人とか、先述のあるある人生設計の上になんとなくで乗ってもうてる人とかにはやっぱり聞いてほしい話ではありますね。

(※誤解のないように補足しますが、自分の自由意志の行使の結果として自分のしたい結婚をするんや!という方の結婚に対しては、僕はきちんとお祝いする心を持ち合わせています)


退職交渉


2月の上旬に、上司を別室に呼び出して退職願を提出。
前日だかに調べたら、社内ポータルサイトに退職願の書式というものがきちんと載ってましたわ。こんなものは誰も教えてくれないし、教えを乞うこともできない。自力で見つけるしかないという変な書式をこっそり印刷して、退職希望日の欄には「2月末日」と書いたはずが結果、退職日は本日6月4日ですよ。

次の仕事が決まってないのがマズかった。転職先が決まってる人はもっとずっと早いらしいけど、僕の場合は引き留め交渉の面談だけで10回。10回!!
全日程消化するのに丸1ヶ月かかって、それから人事部長決済に1週間。なんでこんなことに決済をいただかなあかんねん俺の勝手ちゃうんけと思いながらも、3月末までもつれこんだことによって2021年上半期分の有給消化も来るということで、上述の通り43営業日フルで消化しまして本日ニッコリ退職と相成りました。

ついでに言うと社員寮にも5月末まで丸2ヶ月居座れましてね。れっきとした社員ですからね。激安家賃で実質ニート生活にニッコニコだったわけです。「社員のうち」にとクレカ12枚ぐらい作ってたら2ヶ月終わりましたけど。


あと、噂には聞いてたんですけど「別の部署に異動してみる?」的な提案はあらゆる立場の方から受けることになります。異動が退職理由を根本的に解決するか否かが分水嶺になるわけですが、辞めようとした人の中には結構ここで異動の条件を呑んで退職を踏みとどまった人とかも周りには何人か居ました。多くの場合は環境変えたってまたいずれ似たようなことになるやろ、と思うんですけども…。

たとえば今このヤバい部から異動になって、ちょっとマシな部に置いてくれたとしますよ。(銀行は3〜5年スパンで異動するのがデフォって前提があるからかもですが、)結局は同じ組織で同じ人材がぐるぐるしてるわけですから、やがてまたどうせ同じことなるんですよ。そのとき35歳とか45歳とかやとして、またそのときいろんなしがらみとかできた中で同じ問題と格闘しなければならない。問題を先延ばしにしているに過ぎない。

そこまで考えを煮詰めきってから面談に臨んでおけば、もうちょっとだけでも早く話が終わったかもな、とは思いました。

ついでに言うならば、過酷な部署の人って、そこに耐えきれなかった人を受け入れる言わば受け皿部署の存在にあぐらをかいて、新入りを淘汰してるところがあると思うんですよ。この会社だけかな。
「どうせキツく苛めたって、ムリなら受け皿部署行くやろ」みたいなとこ絶対あると思う。その上で人を淘汰してる。全員そうとは言わんけど。はいはいと受け皿部署に異動して次の人が来てハイおしまい、ってのは我慢ならんよなという本音はあったような。なかったような。

以上、この章は個人の記録。まさに書き留めですわ。


これから

いまだに何も決めてません。
やっと失業するので、これから失業保険の受給手続きに移りはしますが、その先のことは何にも。

それから住処については、これまでの東京の西側郊外の社員寮から、軽トラ借りて自力で引越してきまして、現在葛飾区におりやす。4日目やけど本当にええ街。どんな格好で出歩いてもいい。スーパーのご老人は独り言がバカでかい。これを待ってました。



さて、これからどうしようかな!どうなることやら!!!


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退職散歩ぺち
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