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ロンドンは作られていない?

 短編のミステリー小説のような、わずかな未知に触れることが好きだったりします。

「ロンドンは作られていない」というショートミステリーは、デカルトの "世界のすべてを疑う" という思想がベースになっている物語でした。

ストーリーはこうです。
自分以外の人すべてがアンドロイドで、たった一人生き残った本物の人間である自分を、人間のフリをして監視しているのではないか?
たとえば、自分がこれからロンドンに行こうと計画したとする。すると、その瞬間からビッグベンが作られ始め、エッフェル塔が建設され、ロンドンという街が作られる。つまり、実際にはまだロンドンは存在していない。
「ロンドンは作られていない」は、そんな主人公の"疑い"から始まる話でした。

世界中のすべてを疑おうとしたデカルトですが、たった一つ疑えなかったものがあります。
それは「自身が疑っていること」を疑うことです。
人間は常に自分視点で物を考える生き物で、そうでなくてはならないのだと思います。

 今年は、自身の出展する画廊や美術館に多く赴きました。
多くの芸術の中に紛れる自分の作品を観て、
「はたして自分の存在意義とはなんだろう」と頭の中で煮え切らない思いを反芻していました。
私は私である意味があるのか。
私が絵を描く意味はあるのか。
私なんかいなくても。

しかし、ロンドンは作られていないによれば、人間、疑っている自分自身は疑えないのです。
つまり自分自身の存在意義についてなど、疑い始めたらそれを覆すことは難しくなってしまう。

-私は私の個性で、道を貫かなければ。
-疑う余地のない生命として輝かなければ。
そう思い直させてくれました。

 来年からは、今年よりもステップアップした展示にいくつもお声がけ頂き、参加が決まっています。
それもきっと、周りに平されず尖り続けてきた報酬なのだと思うことにしました。
疑うべくもない、私自身の生まれ持った個性とともに、邁進していける年にしていきたいものです。

ご支援頂けますと、個展や企画展、画集発行、グッズ制作などに尽力できます!どうぞよろしくお願いいたします。