自然に人生を終われるタイミング。。「父が教えてくれたこと編」
前回「親を介護する子供がいたら是非読んで!「ヨーロッパから学ぶ編!」を書いて今でもよく「いいね!」をポツポツ押してくれている記事
読み返してみてふっと思い出しだことがあるのでそのことを今回書きたいと思います。
父は起業家で経営しています。僕からみてもこんな田舎の街ではかなりぶっ飛んでいる方で10年くらい前から介護施設を経営しています。
その理由は「その父の親を介護するため」そして最終的には「自身もそこへ入る」としたためです。
僕がヨーロッパにいる時に祖父母とも両方とも施設で亡くなったのですが
最近父から聞いた話があります。。
それはおじいちゃんのことで「もともとは施設に入りたくなかった」ということ。
親のために建てた施設、頑固としておじいちゃんは拒否していたようなんです。その当時おじいちゃんは目が見えなくなってきていておばあちゃんの負担がかなり大きくなりました。
おばあちゃんは至って元気!田舎なので野良作業、家庭菜園、着物などの仕事などしていました。
そんなおじいちゃんがある時に入りたいと言ってきたそうなんです。
その理由「この家が寒すぎる。。。」
うお!初耳。。やっぱりおじいちゃんもこの家が寒いと思っていたのか。。
今僕は祖父母が住んでいた家に住んでいます。毎年寒いのですが今年は朝起きたら外の気温−6度の時があり家の中のワンコの水が凍ってました。観葉植物も半分がダメになった。。
観葉植物を冷蔵庫に入れておいたほうがよかった。。っと思ったほど。笑
本当に毎年寒い寒いと思っているけども、近所の人たちも昔ながらの家で同じ家の構造なので冬は本当に寒いようです。その代わりに夏涼しいんですけども。。
その戦争にも行ってきた我慢強いはずのおじいちゃんが寒さで弱音を吐いたんですね。。
でも歳をとってくると血液の循環が悪くなってくるので若い時の寒さとは全く感じ方が違ってきます。目が悪くなり歩くことをなかなかしなくなったおじいちゃんの足はだんだん弱ってきていたのだと思います。
さて、そう施設に入りたいと言ってきたおじいちゃんを今度は父が拒否します!
面白い。。そんなことがあったのか。。
父からしてみたら「そんなところ絶対に入らない!」と頑固に言ってきたおじいちゃんなので父も頑固に対応したそうです。
でも最終的には入ってたのですがここからが今回のnote..
父は「施設に入れないほうがよかった・・」と言います。
あの時がおじいちゃんの自然に人生を終われるタイミングだったというんです。
どういうことか。。。
施設に入る前のおじいちゃんは相当弱っていたと言います。
でも施設に入ったら元気になってしまったというんです。
いいことのように思えますが違うんです。
おじいちゃんの脳はボケてきている。。
そして体もそれと一緒に衰えてきていた。。。
でも体が急に元気になった。そうなるとどうなるのか。。
身体や中身、内臓から含めて全てのことののバランスが崩れてくるんです。
そして何が起こるかというと急激に脳がさらにボケ始めます。。
そうすると体はめちゃくちゃ元気だけども脳は崩壊。。
勝手に行動し始める動くロボットのようです!!
介護士さんやおばあちゃん、お父さんなどにもものすごく攻撃的になったそうです。おばあちゃんは元気なのですが一緒に施設に入っていました。
きっとずっと一緒にいたいんです。おじいちゃんのお世話は私が最後までするっておばあちゃん思っていたんでしょうね。
でも父親は言います。おばあちゃんの腕とかを見るとおじいちゃんに噛まれた跡、殴られた跡がたくさんあったと言います。
でもおばあちゃんはそれを誰にも言わなかったと言います。
そして従業員も大変だと思います。
介護施設の館長の親がその施設に入っているんです。。
それは従業員もちょっと気を遣ってしまうとは思います。
従業員も本当に大変だったと迷惑をかけたと。。父は言います。
父はおじいちゃんを施設に入れたのは間違いだったと話します。
タイミングを逃した。。
本当に父親もおじいちゃんの介護は死ぬほど大変だったと言います。施設があってもです。おじいちゃんの介護8年間、亡くなった時にはホッとした。。よかったと話しています。
最後が最悪の思い出しか残っていないお父さんにとってはおじいちゃんはいい思い出と残っていないんです。
これって悲しいことだと思います。
そしておばあちゃんも施設に入ってから変わったことがあります。
それはだんだん顔色が白くなり体が弱くなっていきました。
なぜかというと
「施設はなんでもやってくれるから」
食事、洗濯、お風呂入れ、掃除、、、
いつも実家でやっていた仕事、雑用がなくなります。。
僕は年に1度日本に戻っていたのでそれはよく感じていました。
おばあちゃんの顔色が悪くなっている。。
太陽にもあまり浴びない。
1年に一度だから変化がよくわかる。毎日一緒にいると気づかないかもしれない。。
僕は近所の人にも今でもよく言われます。。
おばあちゃんは施設に入らなかったら今でも生きていたよ!
同級生がそこにもいるけどもまだ元気で生きてるよ。おばあちゃんも健康で元気だったからな。。
おじいちゃんもおばあちゃんは88歳で亡くなりました。
おばあちゃんはとにかく元気でした。
僕も同感です。。。
以前noteにも書きましたがヨーロッパのように自分でできることは最後までできるだけ自分でやるというのが老後の過ごし方なんです。
そうすると自然に人生が終われると思います。
それでも介護施設は必要だと思います。
その人の環境にあった選択が大切です。
サービス精神が大好きな日本は介護に真逆の方向に向かっているとも思います。
高齢者にこそ、できるだけ自分でいろいろさせるべきなのです。
そのサポートを少ししてあげるだけでいいのです。
おばあちゃんも言ってました。。
「ここは何でもやってくれて本当に楽!」
でもやっぱり人は雑用が大切なのだと思います。
草取り、家事など今までやってきたこと、習慣ついていることはやっぱり大切だと思います。
近所の周りのおじいちゃん、おばあちゃんたちはいい歳取り方をしています。本当に老けないですね。いつも動いています。。やることがたくさんあるんです。庭、野菜、家事。。
これが大切なのではないかと思います。。
最近父は介護施設を閉めました。。
でも一緒にやっていたDAYサービスは継続しています。
DAYは高齢者をそんなに介護しなく楽しんだり動いたり歌ったりしています。自宅でお風呂に自分で入れない人はここで人の手を借りてお風呂に入ることもできます。
「介護施設は本当に大変。。コロナでもあるし従業員は働かせられない。
DAYはやっていて楽しい!」
あれ。。父も入るための施設がなくなった。。
どうするんだろう。。
本当にぶっ飛んでるな。。。って思います。
でも父は若いです。もうすぐ80歳になろうとしているのかな。。
毎回黒髪に染めて見た目も本当に若いです。
外見に気を使い、死ぬまで仕事で、ピンピンコロリ!を合言葉にポックリ死ぬ、延命なんていらないと口癖で言ってます。
僕も同感ですね。。
父は父、僕は僕です!
日本はもったいない精神が寿命にもあると思います。。
でもそれが国も家族も圧迫し悪徳医者を増やしています。
国民の考え方ひとつです。
僕は親が倒れたら延命などしません。。
「先生!父を助けてください!!」なんて言いません。。
死ぬタイミングがそれでよければそれでいいと思うんです。
自然に死ぬタイミングを変えるとおかしくなる場合が本当に多い。。
いつ親が亡くなっても後悔しない生き方を僕もしています。
会いたい時に会い、話したい時に話す。。
思いっきり笑い、思いっきり楽しむ。。
次回ね!また来年ね!また父の日ね!またお正月ね!なんてことはしません。。そんなイベントは僕には必要ありません。。
人はいつ死ぬのかわからないのですから。。
海外にいる時からそうでした。。
年に1度しか戻って来れない。。
今度戻ってくる時にはこの友達、親、おじいちゃん、おばあちゃんに会えないかもしれない。。
だから後悔しないようにしてました。
そんな気持ちで僕は日本から海外に戻っていました。
だから祖父母が亡くなった時も何の後悔もありませんでした。
葬式の時も父は「戻って来なくて大丈夫。。」と気を使っていました。
僕は葬式は好きではありません。。
葬式で喜んでいるのはお坊さんと葬儀やとその手当がもらえる病院です。
悪徳坊さん、悪徳葬儀屋、悪徳病院が増えてきたのは全て国民の考え方です。国民がもっとしっかりすれば1回の葬儀でお坊さんに50万円とか世界から見たら笑ってしまうような馬鹿な行動はしなくなるでしょう。。
葬儀やでも数百万円!本当にいい加減にやめませんか。。。
僕はアマゾンお坊さん便で3万円。。そう父に伝えています。
檀家ですがお坊さんは50万円請求するそうです。一人でいいのに友人のお坊さんを毎回連れてきて倍請求してくるそうです。。
おかしな世界です。。
お坊さんはそういう人たちではなかったはず。。
お金はお布施としてだったはず。。
お金のないところからはお金は取らなかった。。
医者もそうです。昔の町医者はそうでした。
でも今は皆平等に請求。。
時給数百円のパートで頑張って働いている家庭にとっては葬儀の50万なんて高額すぎます。パートじゃなくてもおかしいでしょう。。
ポンポン叩いてこの請求。。
弁護士でも30分5000円ほどなのにです。
国民はもっと考えるべきだと思います。
きっと考えなくても自然とそうなってくると思います。
このような高額請求をしている悪徳のお坊さんのお寺はいずれつぶれると思います。本当に悲しいことだと思います。。お寺は悪くない。。ただそこの住職で変わってしまうことが本当に悲しいです。
築地本願寺のような時代にあった葬儀をするようなところはずっと続いていくことと思います。
また葬式でみんなが集まり悲しい空気が嫌なんです。。
食事しても美味しくないでしょう。。
亡くなった人はそれをみて嬉しいのかな。。
葬式でせっかく集まってくれた人たちで思いっきり楽しんでもらいたいって僕だったら思いたい。
ある意味葬式なんて個人的には必要ない。。
葬式に行ってその人が生き返るのならば行く。。
どうせ葬式をやるならば悲しまない葬式、
この人がいたから今この仲間が集まった。。
この人の最後の力。。
そしたらその亡くなった人の思い出話で盛り上がりたいです。
僕が亡くなったらそうしてもらいたいくらいです。
ワンワン泣いている姿なんてみたくない。
「お〜この人はこんなに泣いてくれているのか。。嬉しいな。。」なんて思えない。。
僕が結婚していてもし僕が先に行ってしまったら
妻には他の人を早く見つけて楽しい人生を1日でも多く過ごしてもらいたい。一人でいたいならそれでもいい。。周りの目なんて気にしない。。
気になるなら違う場所へ。。
僕が亡くなったことにより引きずっているなんてことは僕は望まない。。
周りの目を気にせずに楽しく自身が過ごすことが僕にとっても嬉しいことだから。。
少しでも役に立てたら嬉しいです。
https://note.com/pearlime/n/n77cb84b72dd5
全国を愛犬と旅しながら地域の習慣や食などをそこにいる人には気づかない素敵な文化などを伝えてより良い楽しい生活になったらいいなと思います。こんな美味しい食べ物や習慣、生活に気付いたらシェアできたらと思います。私たちが知らない素敵な日本を世界にも伝えたいと思います。