私の選択の全ては私の人生においての最適解である
「後悔」という言葉がある。
それが頭に出てくるときは、さしずめ現状に満足がいってなかったり、過去の自分の選択を悔いていたりするときだろう。
タイトルであんなに強気なことを言ってしまっているが、私の人生は解像度を上げれば後悔がゴロゴロ転がっているかもしれないから、こうやって強がることで正気を保っている。
しかし、私は自分がしてきた選択に間違いなどないと思っている。
今生きている私と数年前の私、下手したら昨日の私とだって考え方が違うから、今の私から見た過去はほぼ他人の過去なのだ。
あのときの私の選択が今の私からしたら不正解に見えても、そのときはそれが正解だった。120点満点だ。
だから後悔する必要性が全くない。
現状が満ち足りているとき、人は「あのときの経験があるから今がある」と言う。
満ち足りてない立場からしたらクソ喰らえな言葉だし、どん底にいる人間に投げかける言葉がそれか?頭がいってるのでは?とさえ思う。
そういう人は「あのとき」のどん底がせいぜい浅瀬ですっ転んだ程度のものだろう。
こちとらしょっちゅう溺れて息ができなくなって生死を彷徨っているというのに。
だんだん性格の卑屈さが滲み出ている。
でも、全てがクリーンな人間よりも傷つきまくって世を斜に構えて見ている人間のほうが、なんだか面白いと思う。
傷を知って理解できる世界がある。
自分の選択によって大怪我をしても、その傷は今後の私の絶大な味方になってくれる。
過去のボロボロになって泣いている自分に会ったら、あなたの選択は何も間違っていないよ。未来のあなたが言うんだから間違いないよと、そう言って抱きしめてあげたい。
私のことは私が1番分かっている。
傷だらけだからこそ私は強いし、選択してきたことの全ては大正解で、それらの全ては最終的には幸せに直結している。
間違いない。