見出し画像

『医者よ、信念はいらないまず命を救え!』(中村哲医師/著)試し読み

2019年12月4日に、アフガニスタンで凶弾に倒れた日本人医師の中村哲先生の著書『医者よ、信念はいらないまず命を救え!』を緊急復刊いたしました。

人々の命を救うという使命のため、医師という本業である医療活動だけでなく、その周辺に山積した課題解決に率先して取り組まれた中村哲先生のメッセージは、多くの方々に語り継いでいきたい内容です。
緊急復刊に伴い、本書の一部を公開いたします。

画像1

(『医者よ、信念はいらないまず命を救え!』中村哲/著
羊土社、2003年10月7日発行)


中村 哲 講演録「病気はあとでも治せるからまず生きておりなさい」より

患者にとって良いことは何なのかを考えることで、豊かな心を得た

 この私たちの活動を通していえることはですね、本当に人間というのは愚かなものである。目先のことで振り回されて生きていかざるを得ない存在である。しかしどんな場所であっても自分のおかれたところで人としての分を尽くすことが大切なのです。

 私たちはたまたまアフガニスタンと縁があって力を尽くしているのであって、医者が皆、海外協力をしないとダメだと言うわけではないと思うのですね。離島でも人が必要ですし、老人医療でも本格的な医療というのはまだまだケアが足りない。

 国内でもすることはたくさんあります。私たちが考えなくちゃいけないのは、その人がおかれたところでその相手の患者にとって一番必要なものは何なのかを察し、それに従って治療を進めることだと強く思っています。

 「一隅を照らす」という言葉があります。一隅を照らすというのは、一つの片隅を照らすということですが、それで良いわけでありまして、世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかいう問題に煩わされてはいけない。
 世界中を照らそうとしたら、爆弾を落とさなくちゃいけない。それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最善を尽くすことではないかというふうに思っております。

 今振り返ってつくづく思うことは、確かにあそこで困っている人がいて、なんとかしてあげたいなあということで始めたことが、次々と大きくなっていったわけですけれど、逆に20年間それを続けてきたことで私たち自身が、本当に人間にとって大事なことは何なのか、人間が無くしても良いことは何なのか、人間として最後まで大事にしなくちゃいけないものは何なのか、ということについてヒントを得たような気がするわけです。

 結局自分が助かったということですね。助けることは助かるこという言葉がありますけれども、その通りでありまして、この事業を通じて私たち自身が、気持ちが豊かでかつ楽天的になったということがいえます。

・ ・ ・

中村哲医師と参加者の質疑応答「本当のことを知ってほしいからありのままを話そう」より

Q.中村先生はどういう気持ちでアフガニスタンへ行かれたんですか? これまでの活動の原動力を教えてください。

 それはですね、皆さんがっかりされるかも知れませんけれども、私は特別あそこで働きたいと思って行ったわけではないんですね。山岳会員で現地に行ったのが初めてでして、結構自然と人間が気に入りまして、パキスタンの北のほうに、それから何回か行っているうちに、たまたまある海外医療協力団体からペシャワールに赴任できる医者を探しているけどあんた行けないか、という話がありまして、あそこだったら知ってますから喜んで行きますといって、何年かおったら帰れるというつもりで行ったのが運の尽きといいますか(笑)。

 さっき死んだらどうするかという質問がありましたが、死ぬかどうかは死んでみないとわからない(笑)。続くかどうかは続いてみないと分からないというのが正直なところじゃないかと思うのですけれども。

 ペシャワールというところは、パキスタンもアフガニスタンも退屈しないところなんですね。一つ問題が片付いたと思ったら何か起こっている。それに一生懸命になっていたら、また何か起きてくれる。気付いたら白髪頭になっていた、というのが答えなんですね。

 「忍耐と努力を重ねて、ヒューマニティに燃えて戦った」といえばかっこいいですけれど、そんな筋書き通りの人はあまりいない。気に入ったところには長くいる。なんかやっぱり現地の気候と何となくあうところもあったのも、長く続いた理由ではないかと思います。かえって日本にいるとですね、こんなところにいると長生きできないなという気がします。

 今日も、向こうだったら二日三日かけてたどり着いて、一日かけてお話して次の日ゆっくり帰るということになりますが、日本では朝早く起きて家を出て東京に出てきて、夕方の飛行機に乗って帰ったりする。

 その合間には働いて、子供は学校にやらなくちゃいけない、向こうの仕事もしなきゃいけない。命が縮む(笑)。だからやはり原動力というのは感覚的に「合っている」ということ。

 あとイメージが通じるのは、やはり古い日本人の感覚でしょうけれども、「ここで引き下がっちゃ男が頽すたる」と言うと、最近は女じゃいけないんですか? といわれるんですけれども(笑)そういうのが積もり積もって現在に至っているのではないでしょうか。

・ ・ ・

インタビュー:中村哲医師から若き医者へのメッセージ「無鉄砲に生きてもいいじゃないか」より

現地の患者と日本の患者に違いはない

編集部:患者さんとのコミュニケーションのことですが、なかなか難しいのではないかと思いますが、いかがでしょう。

中村:患者さんとの呼吸というのがありまして、日本の患者さんのなかにもいろんな患者さんがいるわけで、マニュアルはない。百人患者さんがいれば百様の対応のしかたがある。だから別に向こうの人だから特殊なことというのはない。

 ただ、日本みたいに保険医療制度はないし金はない。そのなかで現実と妥協というか、妥協というと語弊がありますけれども、一番良くしてあげられることはなにかを判断する。

 これは、日本の臨床医学でも同じなんですよ。たまたま日本という国に生まれて、そして検査も豊富に受けられる、保険医療もあるというなかでしてあげられることと、そういうものがない状態でしてあげられることというか、大元の判断基準は同じなんです。限られた枠の中で最大限のことをするということですから。

 たとえば日本でも難病は治しようがないですが、そのなかでもこうしたら有意義な人生が送れるように工夫してやるとか、考えは同じなんですよ。

・ ・ ・

(続きは、ぜひ書籍でご覧ください)


世界には、報道などではなかなか取り上げられない、国籍や場所を問わず人々の生命を救うためその生涯を捧げた医師は世界には多くいます。

HIV/エイズ対策に生涯を捧げ、悲劇で幕を閉じた医師ユップ・ランゲ博士の物語、『撃ち落とされたエイズの巨星』の序文も公開中です。
ぜひこちらもご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?