描き描かれ

5週にわたって固定ポーズをしてきた仕事が本日で千秋楽を迎えました。

最後まで集中力を研ぎ澄ませていた描き手の方は15人中2人。
他の方は寝ちゃったたり、飽きちゃってたり、落ち着きが無くなったりと、モデルから見るととてもよくわかる。特に、先週からその様子が顕著だった。

初めはもちろんまっさらな紙から始まるわけで、書き進めなければいけない。
それが、ある程度全体像を描写できると、もうこの辺でいいやと諦めも出るのだろう。
確かに、ここまで!と完成を宣言できるのはその描き手本人のみ。
そんな中でも、その2人の集中力は特に抜きん出ていた。

人の中でしか、本当の自分を知れない。
だとすれば、今僕たちの周りにいる人々の全てが、ずっとずっと自分の存在を描き続けるということはものすごく大変なことなのだと思う。こんなこと考えたこともなかった。
そうすると、僕の周りにいる、親友と呼べる数少ない人、愛する人、また好意を感じる人は、まだだ、まだだと聞こえてきそうなほど、僕を描き続けてくれているように感じる。
果たして、僕は出会った人々の存在をずっと描き続けられていただろうか?
描かれることばかり考えていなかっただろうか?

描き続けられない、眠ってしまっている人は僕から見ると、かわいそうに、本当は違う道で輝けるだろうにと思ってしまう。
その人には他に興味があることがあって、今のこの場はマッチしていないことが極めて明瞭に見えるんだ。気がついていないのはその本人だけなのに。

つくづく人の人生は描き描かれの世界と感じられる。
僕は他の人々を描いてあげられていただろうか。
自信がない。

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