「罰を与えるのではない。結末を経験させるのだ。子供が食事の時間になっても帰ってこなければ、一切叱らずに食事を出さなければよい」
約束を守らないとどうなるか経験させる
アドラーの高弟ルドルフ・ドライカースは、「『食事の時間を守らなければ食事は出しません』このように子供と約束をし、それを守ればいいのです。子供が遅く帰ってきて『お母さん、ご飯は?』と聞いたら、『残念ね。遅れてきたから出せないわ』と答えればいいのです」と、叱っても時間までに帰ってこない子供に困り果てている母親にアドバイスを送っています。
論理的結末を体験させる
ここでポイントとなるのは、母親と子供でお互いに納得した上で約束しているということです。
その約束を反故にして起きた結果を論理的結末といいます。
これが、母親からの一方的な要求では、子供にとって理不尽な罰になってしまうでしょう。
大人に対しても有効な方法
仕事の期限を守れない部下に対しては、また期限を守れなければ担当を替わってもらう、そんな応用が可能だと思います。
但し、子供の場合と同じように、お互いに納得した上で約束していることが重要となります。
約束の内容が理不尽なほど厳しい場合、部下はこれを約束と思わず「罰である」と思うでしょう。
「こんなのパワハラだ!」とトラブルになる可能性もあります。
まだこの方法は応用したことがない
私は論理的結末を体験させるという方法をまだ使ったことはありません。
その理由は、お互いに納得して約束するということが、とても困難であると感じているからです。
約束と罰のボーダーラインは不明確で分かりづらいですよね。
結末を体験して気づかせる
その結末により、本人だけが困るのであれば効果的ですが、クライアントや他のスタッフに迷惑をかけるものであれば、結末を体験して気づかせるのはリスクが大きいと思います。
その場合は、あらかじめ期日を守らなっ方時の結末を説明して、どうなるか想像力を働かせてもらって、期日を守れるようにするでしょうね。
もし、結末を体験させる時には、クドクドと嫌味を言ってはいけません。
それも「罰」になってしまうからです。
罰を与えるのではなく、結末を体験させて気づかせる。
それがアドラーの教育なのです。