夏、げぼげぼジュース。
夏休みの思い出は、わらび餅だったという話を書いた。
今回は、げぼげぼジュースの話をする。あ、でも、皆さんはもう大人だと思うので、げぼげぼジュースについては説明は要らないと思う。
でも、もしかすると小さいお子さんが小学校の授業の一環で、この記事を読んでくれているかもしれないので、げぼげぼジュースについてその子のために書き記しておこうと思う。
げぼげぼジュースのはじまりは、おじいちゃんだった。おじいちゃんはびょういんのりょうり長だったので、えいようとかにうるさい人だった。そしてある夏休み、とつぜん、えいようのマイブームをさくれつさせた。
「生野菜には酵素が含まれるから、生野菜をジュースにするとすばらしい。火を通さないのが望ましい。」
ごく簡単に言うと、野菜ジュースにおじいさんとおばあさんがはまってしまったってわけ☆ミ 夏休みに毎日手作りの野菜ジュースが出るの☆ミ まじきもいでしょ☆彡この野菜ジュースのことを、世の中ではげぼげぼジュースって言うんだ☆
大人のみなさま、おまたせしました。げぼげぼジュースなんて誰でも知ってるので、常識的過ぎて暇でしたよね、申し訳ないですさて続けます。
子供にとって野菜は凶器。人参やピーマンやセロリやゴーヤは嫌いなものランキング上位なんじゃなかろうか。僕もほとんどの子供と同じように、別に野菜は好きではなかった。
そこに更におじいちゃんおばあちゃんのマイブームという狂気が混ざる。凶器✕狂気。げぼげぼジュースはそういう存在だったわけなのだわかってほしい。とにかく無理だったのだ。
げぼげぼジュースレシピ
原材料
ピーマン
ゴーヤ(庭のやつ)
人参
トマト
ほうれん草
じゃがいも←
老夫婦のその日の気分野菜
これらを生のままミキサーでぐちゃぐっちゃにする。コップに注ぐと、すごい粘度をもってゆっくりと、
むぉんっだっぷんっ
と、音がする。(じゃがいもの仕業)
もはやジュースじゃない。土の手前。そして色で言えば、抹茶と泥水を合わせたような色。土手前スムージー。どろどろしてて何もスムーズじゃない。土手前ノンスムーズスムージー。
もっと美味しくする手法はあったと思う。
ゴーヤは攻めすぎてるからやめるとか。あと生のじゃがいもも、粘度を高めてしまってだっぷんっを助長するからやめるとか。そして飲みやすさのために、オレンジやレモンを入れて爽やかさと甘みを足すとか。あとトマトも嫌いだからやめる。あとは、もうとにかく野菜をミキサーにかける文化をやめる。
けれども、夏のあの日、野菜嫌いの僕は、一口飲んで驚いた。
見た目と原材料に反して、
まずい。
とってもまずい。
とてもまずい。
まずいまずいまずいまずい。
しかし、そのげぼげぼジュースを、おじいちゃん、おばあちゃん、妹は、がぶがぶと飲む。おかしい。僕の味覚がおかしいのか。こんなもの飲めない。いや、噛めない。
でも、飲まないとおじいちゃんが怒鳴り散らかすので、ちびちびと飲む。まずい。トマトの酸味が悪い方向性に働いている。例えるならこれは、ゲロだ。ハリーポッターの本の中に「ゲロ味のグミ」の描写があったけれど、あれのオリジナルはこのげぼげぼジュースなのでみなさん分かって居てほしい。
「なんばしようとか!男のくせにちんたらせんぞ!はよ飲まんか!!」
たまりかねたおじいちゃんは怒鳴る。僕は慌ててノンスムージーを飲み干す。もうほとんど飲むというよりも、流動的に胃に流し込む感じ。すると、
げぼげぼげぼもろもろもろもろどろもろげばぶるげぶばぶ
スムーズに、吐き出た。
ここだけスムーズ。
この日から僕はそのジュースを影で「げぼげぼジュース」と、そう呼んだ。
でも年寄たちのマイブームはそう簡単に終わるものじゃない。夏休みの間、ずっとそれは作られ続けた。古い村の悪習のように。。
夏休みの間は朝ごはんが出るので、朝ごはんを食べる。すると、視界のはしっこで、トマトやゴーヤが刻まれていく。そしてミキサーにぼどどどどと投入されて、轟音とともに、げぼげぼジュースが生成される。食欲減退装置。うんざりする。
僕は飲むことをやんわりと遠慮し続けた。
けれども、じいさんばあさんずは、僕にそれを飲ませたくてしょうがない。んもう、飲ませたくて飲ませたくて居ても立っても居られない感じなのよ。
健康に良い
まずい
の論争を繰り広げた。しかし子供の意見なんてそんなに通らない。だから、飲まざるをえなかった。
しかし、じゃがいもをいれるとだっぷんってなるのがいやだから、と言って、じゃがいもはなし。そして、どっぷんってなるのがいやだから、濾して提供してもらうことになった。
僕はなんとか、濾しげぼげぼならば、げぼげぼせずに飲むことができるようになった。味はげぼげぼだけど、目をつむって鼻をつまんで、この世の終わりだと思って飲めば飲めた。まずい。でも飲まないとその場を離れることは許されない。だから飲んだ。
ある日、げぼげぼを濾しているシーンを見て僕は驚愕し、悲鳴をあげた。
「ぎゃああああああああ!!!!おばあちゃん、それなんばしようと……」
「あんたがわがまま言うけん、濾しよっちゃろうが!」
「その、えっと、それ、その手ぬぐい、何……?」
おばあちゃんはザルに手ぬぐいを敷いて、その上にげぼげぼペーストを流している。
「手ぬぐいたい!!」
「…え、…でも…さっきまで…それ首に巻いとったやん…か…それ」
その手ぬぐいは、さっきまでおばあちゃんが首に巻いていた手ぬぐいだった。何かを濾すのにタオルだと調子が悪い。やはりガーゼか手ぬぐいがベストだ。レシピとかで濾したり包んだりする時に「清潔なガーゼ」とかが必要になるときがある。豆腐作りとか。間違っても、汗拭き手ぬぐいとは書かれていない。首に巻いていた手ぬぐいが、ザルの上にのせられている。
「ちゃあんと洗ったったい!女々しい子やねぇこん子は!」
おばあちゃんは、そう怒鳴る。煮しめたような色の手ぬぐいから、泥緑色の濾しげぼげぼが滴っている。
僕は、黙って、そっと、その場から立ち去った。
その日から僕は一切飲んでいない。
子供の時の思い出だからと、今、あのげぼげぼを出されても僕は飲まない。
僕は、いろんな食べ物の美味しい食べ方を考えた。本の中に出てくる美味しいものも作ってみた。素材そのものは美味しくても、混ぜればげぼげぼになる。それならあまり味を足さずに、素材を美味しく食べる。そして今ではそれが、僕の根本的な考え方になっている。
ゴーヤは5ミリくらいにスライスして、一度さっと湯通しして、だし醤油と味噌を溶いたもの、モヤシや豆腐や卵と炒めて食べればテーブルごと食べられるし、
トマトはよく冷やして、オリーブオイルと粗めの岩塩なんてかけて食べたらそれだけで胃腸が裏返るぐらい旨い。
グリンピースご飯は水少なめの塩をひとつまみで、春の香りの宝石のように白と緑が輝く。
じゃがいもは、ウインナーとともに蒸す。皿にとっとと盛り付け、じゃがいもの切れ目にバターと醤油を詰めて、高いところからブラックペッパーを多めにかける。うんそれだけでもう、ウインナーの旨味が滲み出してじゃがいもに染み込み、ウインナーのパリッポリッ、じゃがいものふわほろろろもぐもぐじゅわあんなのだ。
もともと食べ物は美味しい。だから、美味しいものを美味しいまま食べたいと思っている。だから、手間はかけずとも、美味しさにはこだわりたいと、そういう想いを持っている。
今の僕の身体と、そして食への想いを作ったのは、紛れもなくあのジュースだ。煮しめた手ぬぐいから滴り落ちる、おぞましい色のげぼげぼジュースなのだ。
最近ハマっている美味しい調理法について、また記事にします!
夏の鍋 夏野菜鍋にハマっています!
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