日本社会の深層に憑りついた遺恨、怨念
本来、日本は幕末明治維新期において平和裏に民主体制へと移行し、早々に、より理想的な社会を築けるはずだった。しかしながら、赤松小三郎先生は殺され、近代平和学の父、カントが称賛した日本伝統の平和主義に背いて、是が非でも戦争に持ち込まれ、その中で産み出された遺恨、怨念の一端は、繰り返される対外膨張となって現れた。1945年8月15日を迎えるに至り、対外膨張は収まったが、その後も、遺恨、怨念は日本社会の深層に憑りついて解消されず、吸入、発酵、放出を続け、今や、両者渦巻き、桁違いの巨体にまで膨れ上がったかのように感じる。これには、明治維新神話の礼賛ではなく、民主の貫徹によって応じる必要がある。躊躇なく抜本的な改革を進め、内なる遺恨、怨念を速やかに解消していけば、外なる遺恨、怨念は、その主要供給源を断たれ、一定程度まで徐々に萎んでいくことだろう。