No.941 唾液が少ないことの弊害と唾液の重要性を体験から知った日…
私たちは普段何の疑いもなく、無意識に唾液は出るものだと思っている。そして唾液とはどんな役割をしていて、唾液がどんなに重要なのかを考えることなど全くない。
恐らく、死ぬまでに一度もそんな疑問や問いに出会わない人々が殆どなのだろう。
私はマイノリティな人々の1人として、唾液の重要性を知ることとなった。
因みにだが唾液は、唾液腺という場所で血液の成分から作られる。唾液腺には耳下腺、顎下腺、舌下腺という3つの主な唾液腺があり、これらの唾液腺が1日に1~1.5リットルの唾液を作りだす。
唾液の約99.5%は水分でできており、残りの約0.5%は無機成分としてカルシウム、リン酸、ナトリウムなど、有機成分としてムチンや抗菌・免疫物質などが含まれている。
私はとあることで唾液が出にくくなった。
こんな体験がなければ一生唾液について調べたり、考えたりすることはなかったであろう。
唾液が出にくくなってとても大変なことに気づく。
恐らく殆どの皆さんの口内は唾液で湿っていて潤っている状態であるはずだ。
食べ物を口に入れた時、最初に食べ物が出会うのが唾液である。それは口内の全ての場所に唾液が付着している。唇にしても、舌にしても、歯にしてもそうだ。
その唾液によって食べ物に湿り気が与えられ、食べ物の硬さを柔らかくし、食べ物の味をオブラードに包んでくれる、食べ物をスムーズに喉の奥まで運んでくれる。
もし唾液がなかったらどうなるのかを皆さん想像して欲しい。
上に書いたことができなくなってしまうということだが、恐らく想像することは不可能であろう。
私はこのことを実感として体験しているのでよくわかるのだが、唾液が出ない、出にくい状態では食べ物を食べることが非常に難しくなる。
まず、水気の少ない食べ物を口に入れた時、パサパサな感覚を感じることとなる。
フライドポテト🍟を口に入れたと想像して欲しい。
普通であればフライドポテトは口に入れた途端、唾液によって包まれフライドポテトに水気が加わることで柔らかくなり、味にまろやかさが加わり、噛みやすく、飲み込みやすくなる。
しかしだ。
唾液が殆どない状態では、口に入れたフライドポテトは歯で噛み砕くときにパサパサであり、口に入れる前のあの硬さや触り心地のままである。
そうすると全くと言っていいほど味に旨味はなく、歯で噛むのにも一苦労する。そして、口から喉へとそのフライドポテトを運び、飲み込むのにも苦労するのだ。
これがあのフライドポテトなのかというほど、別の食べ物へと変容する。
これにより、食べ物の味に旨みがなくなり、美味しいという食欲を満たす感覚が薄くなる。
そして、食べかすが唾液で流されないために歯にこびりつき、この後始末にも手をかけざるを得なくなる。
また、日常生活においても水が必要不可欠となる。私はいつもミネラルウォーターを肌身離さずに持ち歩いていた。
唾液が少ない分、口内の乾きがすぐに訪れるのだ。
口内全体が乾燥し、話すのさえも上手くできないことが起こる。恐らく、渇きによって唇や舌、口の動きにスムーズさがなくなるのだと思う。
唾液を出すために、耳下腺、顎下腺、舌下腺を指でマッサージしたりもした。
少しはそのことで唾液が出るのだが、本来は水のような唾液であるべきものが粘り気のあるベタベタした唾液しか出なかった。
粘着系の唾液は多くは舌下腺から出ている。耳下腺と顎下腺の働きがうまく機能していなかったのだろう。
年齢とともに唾液の量は少なくなっていくのだが、唾液を意識するレベルまで少なくなることはないように思う。
現在はといえば、
以前を10とすれば、出ていなかった時が1であり、今は8-9程度の唾液は出るようになっている。
それにつれて、唾液が出ていなかった時に噛みにくかった食べ物が今は容易に噛み砕けるようになった。
歯で噛むという動作にも唾液がとても重要な働きをしていることを思い知らされた。
私たちは普段唾液のことなどは考えることもない。
口の中には必ず唾液があり、湿り気と潤いを与えているものだと思っている。
しかし、私はそんな当たり前のことが当たり前でないことを体験した。この体験は身体の仕組みを知る上でとても重要な体験となっている。
私たちが普段から何気にやっていることは当たり前であるが、当たり前ではないということだ。
今、私は足の痺れともコンタクトしながら日常生活を送っているが、このことも同じように身体の仕組みを知る上で私にとって大きな体験の一つである。
人間の身体は不思議であり、奥深い。様々な身体の機能が複雑に絡みながら私たちは存在している。
そして一時的に失った唾液という機能も私が生きる上で必要な機能であり、今はその機能を取り戻しつつある。
そして、その機能を十分に理解しながら日常を過ごすなら、もっともっと私たちは私たちの身体へと優しさを向けられるはずである。
そんな優しさを向けながら過ごす日常生活や人生は豊かで生き生きとしたものになるのではないだろうか…