SEIJI YAMAMOTO

鹿児島在住。 企業で人事部門へ20年以上従事。 2003年よりゲシュタルト療法、フォー…

SEIJI YAMAMOTO

鹿児島在住。 企業で人事部門へ20年以上従事。 2003年よりゲシュタルト療法、フォーカシング指向心理療法を学び、20年以上実践。 ワークショップの開催、個人カウンセリング、臨床現場のカウンセラーやカウンセラー初心者等の育成に注力。 今ここでの気づき、身体性感覚を大切している。

最近の記事

No.970 GAFnet(ゲシュタルト.アート.フォーカシングネット)でのフォーカシング&ゲシュタルト療法勉強会で感じたことを書いてみる…

写真は奄美大島の島バナナだ。とても甘みがあって旨い。 テーマとは少しズレるが、皆さんは普段食べているバナナの味が🍌バナナ本来の味なんだと思っているかもしれない。 しかし、本来のバナナの味はその何倍も甘いことはあまり知られていない。 私は本物のバナナ🍌の味を体感した時、あまりの旨さに絶句してしまった。 それはなぜなのか🙄🙄この話はまた次回にでも、、 さて、鹿児島で心理療法を実践しているGAFnetで8/25、フォーカシング&ゲシュタルト療法の勉強会を開催した。 今回はフ

    • No.969 ディルタイ哲学をかじりながら、フォーカシング指向心理療法を深めてみる...

      今私は 哲学者 ディルタイの「歴史と生の哲学」を読んでいる。 ディルタイはフォーカシング指向心理療法の創始者ユージン.T.ジェンドリン博士が影響を受けた哲学者である。 ディルタイ哲学がどのようなものなのかを理解することで、ジェンドリン博士がどうして、フォーカシングという概念を作り上げたのか、わかるだろうと思い、今読んでいる。 そして、何となくではあるがわかった気がする。 本書によれば、 ディルタイ哲学の本来的哲学衝動は、「生を生自身から理解すること」である。 そして、

      • No.968 フォーカシング勉強会でこころの整理法を学ぶ

        7月下旬に鹿児島で心理療法を実践している団体”ゲシュタルト.アート.フォーカシングネット”でフォーカシングの勉強会を実施した。 とても充実した時間だった。 フォーカシングとは、まだ言葉にならない漠としたカラダの感じに意識を向けて、気づきを得る方法である。 そのカラダの感じは、私たちが意識的にカラダへ意識を向けなければ感じられない、微細で薄っすらとあるものだ。 しかし、私たちのカラダのその感じはとても大切な感覚である。 それは、私たちがどのように行動すべきなのか、どの

        • No.967 右脚全体の存在感を取り戻すために…

          この写真は、古代ギリシャ哲学者 プラトンである。2019年ギリシャを訪問した時の1枚。 さて、私はこの1ヶ月余り、本当に久しぶりの体のメンテナンスをやるためにDr.ストレッチへと週1ペースで通っている。 そして、Dr.ストレッチの宣伝ではない。 初回の私の体は見る影もないほど硬く、ストレッチするたびに痛みを伴う。 下半身だけでなく、上半身も同じだ。 上半身は、特に肩甲骨周りがガチガチになっている。それによって、首から肩辺りがとても血行が悪い。 また、巻肩となり、両

        No.970 GAFnet(ゲシュタルト.アート.フォーカシングネット)でのフォーカシング&ゲシュタルト療法勉強会で感じたことを書いてみる…

          No.966 フォーカシング学習会、そしてフェルトセンスへとどのように寄り添うのか...

          6/22,23の2日間、5年ぶりに開催した池見陽氏フォーカシングワークショップへ参加したメンバーで先日学習会をした。 この2日間のワークショップで刺激を受けた参加者が多く、フォーカシングを学び、自分自身でフォーカシングができるようになりたい、との思いから全5回の学習会がスタート。 10名ほどのメンバーが集まり、zoomで1時間30分程度のフォーカシング体験をした。 フォーカシングとは、カラダの意味ある感覚へと注意を向ける必要があり、慣れていなければこのことが難しく感じる

          No.966 フォーカシング学習会、そしてフェルトセンスへとどのように寄り添うのか...

          No.965 フェルトセンスと情動についてもう少し理解を深めてみる…

          私は2週間前に鹿児島で池見陽氏のフォーカシングワークショップを5年ぶりに開催し、私自身も参加した。 何か、新型コロナ感染症で身動きできなかった4年間を含め、このワークショップは私のカラダにスペースや子供の自由さや安寧の時をもたらしてくれた。 そして、矛盾する世間や組織に対するやるせなさや怒り、虚しさを感じていた私に、また新しい息吹を吹き込んでくれたような気がしている。 それは2週間経った今もとても穏やかな感覚を感じているからだ。 「矛盾する世間や組織についての感覚」を

          No.965 フェルトセンスと情動についてもう少し理解を深めてみる…

          No.964 フォーカシング指向心理療法について、著書「フォーカシング」を読み直しながら「フェルトセンス」を味わってみる、、

          今回もフォーカシング創始者 ユージン.T.ジェンドリン博士著 「フォーカシング」を読み直した私の感覚を書いてみたい。 今回は、第3章 カラダが知っていること  what the body knows を見直してみる。 まず、ジェンドリン博士は言う。 第2章ではこの本全体の基礎となっている、2つの重要な発見について述べたと。 その第1は、「フェルトセンス」についてである。 このフェルトセンスは、私たちの生活に深い影響を与えるような、そして、各個人それぞれの目標達成の助けと

          No.964 フォーカシング指向心理療法について、著書「フォーカシング」を読み直しながら「フェルトセンス」を味わってみる、、

          No.963 フォーカシング指向心理療法について、著書「フォーカシング」を読み直しながら私なりの言葉を紡いでみる、、

          先日、No.962でユージン.T.ジェンドリン博士の著書「フォーカシング」第1章 内的行為について書いてみた。 その1章だけでも新たな気づきを得ることができた。 今日は、第2章 変化 について書いてみたい。 ジェンドリン博士は言う。 第1章の内的行為の過程は全く自然なものである。そして、この過程をフォーカシング(焦点合わせ、照準づけ)と呼ぶ。これは、カラダの内部でのある特別な気づきに触れていく過程であり、この気づきをフェルトセンス(感じられた意味、意味ある感じ)と呼ぶ。

          No.963 フォーカシング指向心理療法について、著書「フォーカシング」を読み直しながら私なりの言葉を紡いでみる、、

          No.962フォーカシング指向心理療法とゲシュタルト療法について、著書フォーカシングを読み直しながら私なりの違いを書いてみる、、

          2024年6月22,23日、久ぶりに池見陽氏のフォーカシングワークショップに参加した。 実に2019年以来、5年ぶりである。 池見陽氏のフォーカシングは時は経っても色褪せない、ユージン.T.ジェンドリン博士から受け継いだ確固たるフォーカシング理論に基づいたベースがある。 池見陽氏がユージン.T.ジェンドリン博士の後継者であると言われる所以であろう。 残念ながら、ゲシュタルト療法には世界的に認められたゲシュタルト療法家はいない。 私は今、1980年代にフォーカシングの

          No.962フォーカシング指向心理療法とゲシュタルト療法について、著書フォーカシングを読み直しながら私なりの違いを書いてみる、、

          No.961 沸き立つ思い。41年前の高校球児へと還る瞬間。アオハルの中へ私の感覚は蘇る。そして、身体感覚は嘘偽りない私を今ここに存在させてくれる…

          今日は高校野球、夏の甲子園出場校を決める鹿児島大会の決勝です。 ランチをしながらそのテレビ中継を観ています。 実はランチでこの店に入ろうか迷ってました。 入店を決めた理由は、他によさそうな店がなかったこと、ベジタブルカレー🍛があったこと、アルコールがあったことでした。 でも本当の理由はそうではなかったことに気づきます。 私たちの身体は私の気持ちを知っています。私の嘘偽りのない気持ちを知っているのです。 このスポーツバー的なお店でランチをした理由、、 それはこの高

          No.961 沸き立つ思い。41年前の高校球児へと還る瞬間。アオハルの中へ私の感覚は蘇る。そして、身体感覚は嘘偽りない私を今ここに存在させてくれる…

          No.960 ゲシュタルト療法における図と地とは何か、そして、そのことによって私たちにどのような変化が起こるのか、考察してみる、、

          ゲシュタルト療法における基本理論の一つに図と地の転換というものがある。 図とは私たちの前景にあるものを言い、地とは私たちの背景に隠れているものを言う。 皆さんはルビンの杯を知っているだろう。 見方によって、杯に見えたり、人の顔に見える絵である。 私たちは、今この瞬間に自らの欲求が求めるもの(興味あるもの)へと惹きつけられる。 ゲシュタルト療法の基盤となっているゲシュタルト心理学において、私たちの知覚は今この瞬間に自らが求める欲求が図(自らの前景)となり、それ以外のも

          No.960 ゲシュタルト療法における図と地とは何か、そして、そのことによって私たちにどのような変化が起こるのか、考察してみる、、

          No.959 フッサール現象学におけるエポケーと現象学的還元のゲシュタルト療法への影響

          フッサール現象学において、エポケー(判断停止)からの現象学的還元が重要であり、この現象学はゲシュタルト療法へ影響を与えている。 しかし、このエポケーについて、間違った解釈が広がっているようである。ゲシュタルト療法へ影響を与えているのは確かであり、エポケー、現象学的還元は重要な要素であるのだが、エポケー=判断停止という間違った解釈をしているゲシュタルト療法家を結構見かける。 恐らく、この判断停止とかカッコに入れるという日本語訳が適切ではない故に間違ってしまうのだろうと思う。

          No.959 フッサール現象学におけるエポケーと現象学的還元のゲシュタルト療法への影響

          No.958 10分間のセルフフォーカシングによって私の感覚は180度変化した、、

          久しぶりに書いてみたいと思い、スマホの画面に向かっている。 4月から鹿児島へと帰ってきた。 帰ってきたと言う表現にはとても寂しい思いが乗っている。 何か、”帰ってきた”のではなく、”行った”のだと思いたい私がいる。 私は仕事の都合で熊本へ6年間住み、いつの間にか、その居心地の良さにどっぷりと浸っていた。 そして、沢山の知り合いもできた。まだまだ1週間くらいではその思いは消えない。 まだまだ、帰ってきたのではなく、”鹿児島へ行った”のだ、私の居場所は熊本であると思いたいのだ

          No.958 10分間のセルフフォーカシングによって私の感覚は180度変化した、、

          No.957 傾聴するとはどういうことなのか、日本における傾聴の間違いとは

          この写真は2012年6月、カリフォルニア サンタローザ にある長澤ワイナリーでの一コマである。 とても心地よい場所で飲んだカリフォルニアワインの味は今でも格別に私の感覚へ残っている。 私は長年ゲシュタルト療法を学び、日常の中で、社会の中で実践しているのだが、ゲシュタルト療法はクライエントを傾聴すべきなのかどうかという一つの議論がある。ある人は傾聴は必要ないと言い、ある人は傾聴こそが真髄であると言う。 私の結論から言えば後者が的を得ており、ゲシュタルト療法ほど傾聴が重要であ

          No.957 傾聴するとはどういうことなのか、日本における傾聴の間違いとは

          No.956 ゲシュタルト療法に影響している哲学について考えてみる、、

          2023年も3日目となりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 私の個人的ブログも半年近く無視していました。 2022年夏頃から哲学について考えています。 それは、私の学び実践しているゲシュタルト療法へと影響を与えたとされる現象学と実存主義を深めたいがためです。 私が1960年代にゲシュタルト療法に出会っていたなら、創始者のフリッツ.F.パールズに直接聞けたのでしょう。 しかし、残念ながらわたしが生まれたのは1963年であり、学び始めたのは2003年でしたから、40

          No.956 ゲシュタルト療法に影響している哲学について考えてみる、、

          No.955 セラピストに求められるもの、、この問いに、”それはただ一つ、純粋な私であることだ”と即答する…

          先週の土日は久しぶりにゲシュタルト療法のトレーニングコースへとお邪魔した。こんな日々はストレスも感じない。 そこにあるのは、ワクワク感である。 セラピストに求められるものを一つ挙げなさいと問われれば、それはただ一つ、純粋な私であることだと即答するだろう。 先日、福岡でのトレーニングから帰り、この2日間の私自身の在り様を反芻してみた。 特に、セラピストとしてクライエントに向き合っている時の私の在り様はどうだっただろうか、、と。 全体的には自然体であったとは思うのだが、

          No.955 セラピストに求められるもの、、この問いに、”それはただ一つ、純粋な私であることだ”と即答する…