「ありのまま」を綴る
今回は、原点回帰のような内容。
《文章を書くこと》について。
文章を書くことが好きで
noteを定期的に書く自分の持論である。
--------------------------------------------------------------------------
みなさんは、
文章を書くことが好きだろうか?
これまでいろんな場面で文章を書く機会はあったかと思う。
作文、日記、手紙、読書感想文、卒業論文...etc
もしかすると、
文章を書くことが嫌い、苦手、
また良いイメージがない人がいるかもしれない。
一概には言えないかもしれないが、
その原因の一つに、“縛り”が挙げられるのではないかと考えている。
こんなことを言われたことはないだろうか。
「○○字以上、書きなさい。」
「正しい日本語で書きなさい。」
「今から、文章を書きなさい。」
「○○について書きなさい。」
よく教育現場で言われているのが想像できる。
「○○字以上…」 →字数の縛り
「正しい日本語で…」→文脈、言葉の縛り
「今から…」 →時(時間)の縛り
「○○について…」 →内容の縛り
どれも「書くこと」を学ぶ際には大事なこと。
特に、論文なんかでは必須とも言える。
実際に、自分も教師時代、子どもたちに課したことはある。
ただ、文章を書く際に
すべて、このような“縛り”だらけでは窮屈ではないか?
こんなにも自由のないものだと
書くことが嫌いな人が増えるのも納得のいくことではないか?
自分はそう思う。
確かに「学ぶ」際には、
そのような縛りを用いながら
書くことのスキルを身に付けていきたいところ。
だが、
本来、自分の気持ちや考えを書く
日記や感想文、手紙なんかはもっと自由で良いんじゃなかろうか。
「書くこと」すべてにおいて“縛り”を用いてはダメだ。これは言い切れる。
「ありのまま」を綴ることができなくなるからだ。
自分の想いや考えを
評価してもらおうと取り繕う必要なんてない。
まして、他人にそれを制限される必要なんてどこにもない。
文章の量も、内容も、書き方も
何も気にせずに「ありのまま」を綴れる機会をつくろう!
そしたらきっと、
論文などお堅い文章は嫌でも
「書くこと」自体はそれほど嫌とは感じなくなるかもしれない。
むしろ、
自分と向き合える良い時間、
と思えて好きになるかもしれない。
--------------------------------------------------------------------------
自分は
このモットーをもとに文章を書いている。
書きたい時に、
書きたいことを、
書きたいだけ、書く
これは、
大学の先生(マジョリン先生)が教えてくれた言葉。
書きたい時・・・時(時間)
→書きたくなったら。毎日の日記なんてよう書かん。
書きたいこと・・・内容
→書きたいと思うことが浮かんだら。
書きたいだけ・・・字数
→字数なんて気にしない。短い時は短いし、長い時は長いし。
「書くこと」は自由だ。
自分の抱いてる感情をそのまんま表現すればいい。
子どもはもちろん、大人のあなたも。
「ありのまま」を綴る
これが本来の《文章を書くこと》の本質ではないかと考えている。