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エッセイ:傷つきながら生きる、ということ

どんな人でも、人生のどこかで必ず心の傷を負う。そして一度深い傷を負えば、完全に治るまでには長い時間がかかるし、その間、心の大部分がその傷に支配されてしまう。苦い記憶はいたずらに引きずり出され、未来まで灰色に染め上げる。

本当は「良いことが一つもない人生」なんて存在しないと思うし、「今日がこうだったから、明日もこうしよう」と経験を糧に強くなっていくことが人間の成長の基礎形なのだけれど、傷はそれすらも覆い隠して「何もかもうまくいかない人生だ」と思わせてしまう怖さがある。それまで積み重ねてきたすべてが無意味だったんじゃないか、という思いこそ、心の傷がもたらす最も深い痛みだと思う。

僕は「人は傷つきながら生きていくものだ」とずっと自分に言い聞かせてきた。うつ病にもなった、人間関係も壊れた。苦しすぎる時期は感情を無色に塗りつぶして毎日をやり過ごした。うまく封印できていた記憶も、誰かからあの頃の話題を持ち出された瞬間に、心が凍りつき、怨みが生々しく甦ることもあった。そしてわかったのは、傷は薄れても消えることはないし、完全に癒えることもない、という残酷な事実だった。

あなたはいま、自分の傷を消そうと模索している最中かもしれない。その傷は、これまで積み上げてきた人生を簡単に壊してしまうものかもしれない。 

あなたが傷ついたのは弱いからでも、馬鹿だからでもないよ、ただ一生懸命だっただけ。心が傷つくのは、心を持ってる人間だけ。自分が生きている実感、人との関わりで生まれる喜びや痛み――それらを抱えられるのが人間という存在なんだと思う。

期待するよりもゆっくりだけど、僕らの心はこれからもっと強く、もっとしなやかに鍛えられていくんだと思う。傷は消えない。でも、それは壊れるだけじゃなく、僕らの心の在り方を形づくる一部になるんだと思う。だって、まだ生きているから。過去ではなく、未来を生きようとしてるから。だからこの文章に辿り着き、ここまで読んでくれているのだと思います。

大丈夫。一緒に生きていこうね。

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Payao/詩人
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