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エッセイ:離れていても離れない、お守りのような関係がいい
大人になってからの人間関係は、子どもの頃や学生時代とは違って、どこか淡々としているように感じる。会う頻度が減り、連絡もまばらになっていく。しかし、それを寂しいと感じるよりも、「繋がっている」と感じられることが、むしろ大人にとっては大切なのだと思う。
「なんで連絡くれなかったの?」なんて言い合う関係ではなく、お互いが思い浮かんだときにふと連絡を取り合い、近況が伝われば安心できる。それだけで心が軽くなり、優しい気持ちになれる――そんな相手がひとりでもいれば、人は不思議と強くなれる。お互いの存在そのものがお守りのような関係がいい。
僕には、いくつかのお守りのような存在がある。たとえば、三重に住む彼女とは、10年以上会っていないが、数ヶ月に一度くらいで電話をする。仕事のことや人生のこと。お互いの人生を定点観測し合い、軌道をなぞっていく。遠く離れた人が見てくれているからこそ、自分の人生がどんな道を辿って来たか俯瞰でき、また見守られていることに安堵する。「この人に面白がってもらえるような人生にしたいな」と、ここぞという時に踏ん張れる気がする。
またひとつ、人ではないがお気に入りの場所がお守りのような存在になることもある。僕は帰省するたび、巡礼のように決まった数カ所、住んでいたマンション、よく遊んだ丘、お墓、動物園、etc。自分の起源となった地を1日かけて歩いて回る。これは浪人の頃から続いている習慣なのでもう10年以上になる。10代の自分が思っていたこと、社会人になりたての頃感じていたこと、いくつかの並行世界が重なり、その間を歩いていく。同じ場所を違う季節と巡ることで、自分が進んできた道を、乗り越えてきた傷を、この場所たちが遠くから見守ってくれているようにも感じた。
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大人になると、すべての人間関係を維持するのは正直むずかしい。気づけば“人間関係の断捨離”をせざるを得ない時期が訪れる。相手を切り捨てるというより、自分を守るための選択だとも思う。負担の大きい関係を無理に続けると、いつか自分が潰れてしまうから。結果的に残るのはほんの少しの人――でも、その少しの人を「大切な人」と呼べるのだとしたら、きっとそれは幸せなことなのだろう。
たとえ遠く離れていようと、連絡を頻繁に取り合わなくても、心のどこかで繋がっていると感じられる。会う回数や連絡の頻度が多いか少ないかは問題じゃない。大事なのは、たまに繋がりを確かめるだけで、安心して前に進むエネルギーをもらえること。そして、同じように相手のエネルギーになれること。それだけで、生きていく力になる。大人になってからこそ、そんな“お守り”のような人間関係を、できるだけ大切にしていきたいと僕は思う。
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