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エッセイ:「出逢えてよかった」人でありたい
ここ数年、色々な心境・環境の変化があり、ふと立ち止まって「出逢えてよかった」と思う人達の共通点を考えていた。会っている時にスマホを触らない、噂話をしない、褒めることが上手、優しさを持ちつつも自分の芯はぶれない。そのうえ謙虚で、一緒にいるだけで自然と気持ちを軽くしてくれる。美人とか高学歴とか地位とか関係ない。心が軽くなる、これに尽きる。
自分も誰かに「出逢えてよかった」と思われる人間でありたいけれど、正直に言えば、僕自身はそんな「理想の人」からはだいぶ遠いと思っている。たとえば誰かが噂話や愚痴をこぼしてきたとき、どう返せばいいのか、いまだによく分からない。人を褒めるのも気恥ずかしくてうまくできないし、スマホもつい触ってしまうし、僕を含め、大抵人は自分を大きく見せようとして見栄を張ってしまう。その結果、本当は要らない荷物を抱え込み、小さな段差につまずく。
「最初から“小さく生きる”ことを前向きに選べたらいいのにな」と最近思うようになった。決してネガティブな意味ではなく、大切な人がいて、安心できる場所があって、地に足をつけて生きられるなら、それだけでも十分に幸福なことを忘れないでいたい。世界は広いけど、手の届く範囲の幸せを守るために、胸を張って生きていけたらいい。――そんなふうに今は思う。
実は「大切な人を大切にしよう」というごく当然の意識は、大人になって実感を得た気がする。「死ぬほど好きだ」なんて伝え合うような熱の高い愛情にも憧れるけれど、「一緒にいると怖くなくなる」と思えるような温かな関係こそ、より深い愛情の形なんじゃないかと思う。隣にいてくれるだけで、不安が和らぐ、冷たかったものが温かくなる。ひとりでは対処しきれない悪夢に、一緒に立ち向かえる関係――そんな心の安全地帯を共につくってくれる人がいることこそ、本当の幸せだと今は感じている。
誰かにとって自分も、そんな「出逢えてよかった」人でありたいな。
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昔、当時の彼女と深夜、
ナントカ流星群をみながら
広い駐車場で朝まで話をした。
僕はひどく落ち込んでいて、
話の内容は忘れてしまったけれど、
きみがどう聞いてくれたかは覚えている。
優しく耳を傾けてくれた、
最後まで話を聞いてくれた、
泣きそうな時に隣にいてくれた人
きみのいない世界はとても美しい
冬の空も秋の海も次の桜も多分、
きっと、全部美しい
それでも隣にいない名前を
何度も噛み締めて眠る
人はこんなに弱いのに、
恐れるものなど何もなく、
ただ互いの存在を信じ合える瞬間がある
僕らが信じた、僕らだけの光
出逢えたから生まれた光
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