恭案書房の読書会「住み開き」について考える
恭庵書房(きょなんしょぼう)の読書会、第2回を開催しました。『住み開き』という本の増補版が3月に発売され、十日町でギルドハウスを運営する友人が掲載されたというので読んでみました。鋸南での僕たちの活動、そしてこれから先のコミュニティの在り方(と言っても最新のというよりかつてあったものの揺り戻し)のヒントになりそうだと思い、このキーワードでディスカッションすることにしました。
zoomに字幕をつけるというのに初チャレンジしようとして、開始前にURLを送るのを忘れたり、そして字幕を他の人に振る機能がうまく使いこなせず、字幕を打ち込みながら進行したら注意散漫になってしまいました。その上、僕のコンピュータからzoomが落ちてしまい、録画が途中飛んでいるという始末。
長崎直樹さん:
参加者の西川さんがメモを取ってくれたので、それも合わせてシェアします。(動画の下)
住み開きについて考える メモ by 西川さん
(ディスカッション中に書いてもらったもので、書き起こしとして編集したものではありませんん。録画の補完としてご利用ください)
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<資料の説明>
きょうさんの知る「住み開き」
妻の母の実家が小さなお寺。来訪者が来ると住居スペースから出ていく。
親しい友人で二組。ゲストハウスに住んで経営している。
自分の家をたてるときに、そとに開くという設計をした人。松陰神社で暖炉のある家。子育て系のイベント
経堂ハウス
家族以外に、二組が住めるシェアハウス。1Fに半地下。15人ぐらい入れるスペース
パクチーハウスのお客さん
自宅でパクチーパーティを開いている。知人中心に声をかけている。
昔の旅友達
旅人が集まる会。テーマに合わせたパーティ
吉田さんの編集室兼卓球スタジオ
1F卓球スタジオ
2F編集室
駐車場があって、車の販売の資格もとり、編集室の前に駐車場。そこに車を置いて(買って、修理した車)、値段を付けているが、必要な際は使う。車があって、値段が書いてあると注目して問い合わせがきたりする。売れたら売って、また新しいクルマを買って、売る。
鋸南エアルポルトの住み開き
2F奥に、2DKの住居がある。35年前から大家さんは「住み開き」をしていたことになる。
「いつもの飲み会」の会場
写真右下部分
10帖ぐらいのオープンスペース。子供は無料で絵をかける。大人は少し払うようにする。落書きして帰る。
道の前をおじいさん、おばあさんが歩いている。エアルポルトで「いつものお茶会」もしたい。
<自己紹介>
●コペ山岡さん
本は少し読んだ。表紙のギルドハウスは2〜3回行ったことがある。宮崎のあおしまというサーファーのメッカでソーシャルアパートメントを作っている。8月オープン予定。調査としてギルドハウスへも。鋸南町も。白浜アパートメント(千葉)も行った。読んでいて、ネットベンチャー界にいたので、5〜10人ぐらいのころはほぼ「住み開き」だった。
●ちゃんぽん=長崎さん
きょうさんの高校同級生。千葉に住む。企業研修。宗教、哲学、歴史、美術。そういう内容をやっている。住み開きは小さい頃からの違和感とフィットしている。面白い。プライベートと公的な空間の線引は、電車で隣の人に話しかける人はいない。本当はパブリックな場だが、そこでも私的な空間として認識されて、その線引がどんどんパブリックを侵食している。問題意識としてはずっとあった。
●西川倫子
編集者、ライター、たまにイラストレーター。日本橋・馬喰町にある編集プロダクション「REGION」に勤務。オフィスの一部をコワーキングスペース「BAKHUB」としていて、きょうさんにはいろいろとアドバイスをいただいている。今日参加した理由は、自宅に大きめの庭があり(もともと親戚の家があったが取り壊し庭となった)、独り占めしているような違和感があって「住み開き」という言葉にピンときたから。
●政本さん(まさやん)
住み開きという言葉は初めて知った。日暮里で住居件コワーキングをやっていた。住居の一部を開放したり、屋上でBBQやったり、サウナやったりしていた。面白いから好き。鋸南町で住み開きをやっているところがあって、怪獣のビニールフィギアの収集家が、土日自宅の一角で展示している人。小さい日本人形を展示している人がいる。
●ちゃんぽん=長崎さん
遊んでいい道とダメな道が別れていた。地域が自分たちをつないでいたんだなと。いまはすごく閉じている。どうしたらまた開けるのかという。
性善説での、相手をまず信じる
これは必要。いまは閉じすぎている感覚がある。
●きょうさん
いま、人を家に招くのがハードルが高い。大学生ぐらいのときに、携帯、ポケベルはなかったが、一人暮らししていて、友人宅に急に行くのが好きだった。友人は9割が下宿。いきなりいくとみんな喜ぶ。そのようにコミュニケーションを取っていた。今でも、ランニング中、知り合いの店に急に行く。喜ばれるし、新たな仕事も生まれる。
●西川
今日、みなさんに意見をいただきたいことがある。イギリスではじまったとされる「インクレディブル・エディブル(信じられないかもしれないけど・食べていいよ)」という、食べられる植物を植えるまちぐるみの活動に興味があって、自宅前にトマトを植えた。道行く人に自由に食べて楽しんでもらいたいが、どのようにすれば楽しんでもらえるだろうか?
●きょうさん
ゲリラガーデニング
ゲリラパクチー
まちぐるみだと面白いが。「この通りのものは全部食べていいよ」とかだったらいいかもしれない。1軒だけだと難しいかも。明示的に、声かけをする、ことも含めて。
●コペ山岡さん
どこまで本気か?実はポーズなんじゃないか?
未来食堂やっている小林さん
働いたら1食タダで食べていいけど、食べない人は「タダ飯券」を置ける。そういうときに、パチンコに行きたい人が毎食取ってしまった。そういうときに、不快に思うのか、許容するのか。覚悟が本物かどうか。
その場でトマトをかじって笑顔になるっていうことしか許容しない。持ち帰る用のビニール袋があったら、ガチだなと伝わる。
●政本洋輔さん
住み開き=ボランティア精神 とは限らない。単純にシェアリングとイコールではない。住居を有料で貸しているかもしれないし。メリット・デメリットでやってもいいし、ビジネスでやってもいいし。
●きょうさん
住み開き、という言葉は、開くことが特殊になったからこそ生まれたと思う。出てきた新しい概念は、人類史上初ではない。ここ10年はなかったけど、とか。
知らない人がくるほどトラブルが顕在化。ものが壊れたり。うまくマネジメントできれば続くだろうが。
住み開きは、ある人のあるステージで、面白いことだったりしても、子供が生まれてやめた、とか、子供が成長してやめた、とか
<今日の感想>
●ちゃんぽんさん
インクレディブルエディブルの話
お金をベースにした経済活動が、浸透していて、そこにあるトマトなりを、返さないと気持ち悪い、1回のやりとりならそうなるが、長期的にわたしたりもらったりが行われている中で、トマトどう?と言われるのと、単体でわたされるのとでは捉え方が違うのかなと。ギフトというのは、見返りを期待しないからギフトである。カフェでもうけよう、とするとうまくいかない、というような内容が本にもあるが。グレーゾーンだが。お金を介したほうが、人間関係がなくてもいい。
社会の役割の中で生きているから否定しないけど、そうじゃない役割があるんじゃないかと。だから、インクレディブルエディブルの面白さは、それをゆさぶってくるところにあるのかなと。
●山岡さん
今までだったら、記号としてやりとりしていた部分に自分を出していくのが本質なのかなと思った。それがただの好き嫌い、わがままなのか、筋の通ったところがあるのかが大事
好き嫌いだと、人を選ぶ。客を選ぶスナックみたいになっていく。
気持ちのいいスナックは、オーナーの中にプリンシパルを感じさせること。そこに筋を通ったところを感じて信頼される。ポリシーとか。
●きょうさん
飲食店をやってきて、乾杯全員起立、声出せ!そういうのがないと、「食ってやってるんだから」とか苦しくなる。流れって、作るのは難しい。プリンシパルはすごく大事。
●まさやん
住み開きという言葉にピンと来てない
子供のころ、店頭にだれもいなくて、声をかけたら「はーい」という店はそこらじゅうにあった。それを再定義しなきゃいけなくなったんだなというところから、なるほど、と思った。どんどん回帰していけばいいのかなと思った。生活と仕事がドッキングしているみたいになっていけば、親近感もわくし、これからそういうふうに仕事していけばいいんじゃないかな。
●ちゃんぽんさん
ひらのけいいちろうさん ブンジンシュギ 個人をベースに、一貫した性格で
Aさんと会ってる自分、Bさんと会ってる自分、会社の自分、みんな違う。それでいい。
社会と個人で呼応した動きのように感じる。なにを求めているか?=偶然性、予定調和じゃない出来事 締め付けが厳しくなると、同じことの繰り返しになるのでは?
分人の観点からも息苦しい
自分や社会の中に、いい偶然性を取り戻すために、住み開きというやり方があるなと感じた
●西川
今日は、きょうさん以外とは初めてお会いしたが、今いちばん、だれかと話したいことを話せたと思う。インクレディブル・エディブルの実践については、自分が思い描く展開にならないことも含めて想像し、自分の気持ちを掘り下げてみたいと思う。
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