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パワハラ死した僕が教師に転生したら 21.遺族

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 教師が意識体となって垣間見た、無数の死にゆく労働者達。そして、それを生み出す社会の成り立ち。
 授業を黙って聞いていた生徒達が、おもむろに口を開く。
 まだまだ続く教師の13回目の授業。
 
「・・・・・何万人もの労働者が亡くなっている?」と文香が白い頬をこわばらせて訊く。
「ええ、僕の見立てでは、ここ50年の間に少なくとも5万人は死んでいます」
「・・・・・本当に・・・・・ですか?」と文香が真剣な表情で訊く。
「うー・・・・・大人の世界って、本当に・・・・・そんなのばっか?」と優太が訊く。 
「ええ、本当なのです。パワハラ死や過労死は昔から多くの会社で起きている。有名な大きな会社でも、誰も知らないような小さな会社でも起きています。一部の人、一部の会社だけに起きる特殊な問題ではない。あなたも、あなたのお父さんも、そうなる可能性がある。僕は10年間、現代と過去を行き来して、山ほど見てきたのです」
「・・・・・10年も?」と文香が訊く。
「ええ。10年と言っても、意識体に眠りはありませんから、もっと長い感覚ですが・・・・・」
「・・・・・10年も寝ないでそんな人ばかり見てた?」と優太が眉間にひどくしわを寄せて言う。
「いけませんか?死なないと治らない馬鹿が死んでようやく治った。何かを知りたい、学びたいと、僕は初めて心の底から思ったのです。そしてその欲求は、留まることを知らなかった」
「・・・・・他にも、その、お前みたいな・・・・・ヤバイ心霊みたいなヤツはいたのか?」と冬司が訊く。
「・・・・・さあ?意識体は物理的な実体が無く見えないので、確かめようがない。10年の間、僕が話をしたのは、神様と何回かだけです。だから、いなかったのかもしれない」
「・・・・・10年間、ずっと、ひとりぼっち?・・・・・寂しくて頭がおかしくならなかった?」とゾッとした顔の優太が訊く。
「いや、特には」と教師が淡々と答える。
「・・・・・先生は・・・・・そういうの・・・・・平気な人・・・・・なのかなぁ」と愛鐘がぎこちない微笑みを浮かべて小さな声で言う。 
「それで死んでく人ばかり見てた?・・・・・この人、いったいどういうメンタルしてる?」と優太がつぶやく。
「・・・・・いや、それだけではありません。時間の流れていく現在では、僕をパワハラ死させたあの会社のことや、両親のことも見守っていました」
 
「あの会社は・・・・・着実に成長して行きました。出店は続き店舗数は100を超えていった。あの社長は老い始め、以前のようには働けなくなっていた。それでも極限まで仕事をしようとしていた。六十代半ばの時、彼個人の預金口座には5億近いお金があった。あの会社にも20億を超えるお金があった。それは唯一の株主である彼のものです。世間から見れば、間違いなく成功者だった。でも彼は、まだ納得できていなかった。何一つ許せていなかった。それでずっと、働き続けていた。
 あの店長は、ずっと終着駅の店長のままでした。自分はそんなに器用な人間じゃないと言って、スーパーバイザーへの昇格を固辞していた。彼も少しずつ衰え、しわが増えていった。
 終着駅では、僕の死から1年半が過ぎた頃に社員の異動があり、おとなしそうな三十代半ばの男性が配属されます。39度の発熱を理由に休日出勤を何度か拒否したことがあの社長に知られ、見せしめとして終着駅に配属されたのです。店長からひどいパワハラを受け、数ヶ月で胃潰瘍にかかり客席で吐血して休職。結局、彼は退職します。終着駅ではその後も延々とこんなことが繰り返されていた。そして、口封じされていた僕のことも、少しずつ社内に漏れ伝わっていった。誰もが終着駅送りを恐れ、それを避けるために社長と上司に強く服従していた。過酷な集団と階層は10年間、変わらずに維持されていた・・・・・」
 
 やり切れない表情の教師が授業を続ける。
 
「・・・・・そして両親は・・・・・ひどい有り様でした・・・・・二人はすっかり、社会から孤立してしまった。
 僕が亡くなってしばらくしてから、親戚や友人が両親を訪ねてきました。彼らは両親に元気を出して、前を向いて、立ち直って、と言った。両親は苦しそうな顔をして頷いていた。そういう言葉をかけられるのが、辛かったのだと思います。死んだ人間は帰ってこない、心に空いた穴は埋まることがない、それは体の一部を失うようなものだと思う。なのに、それらの言葉は、これまでと同じように振舞い、微笑むことを求めてくるのです。彼らが帰っていくと、母さんはベッドに倒れ込んでいた。
 次第に両親は、親戚や友人と会うことを避けるようになり、誰からも疎遠になっていった。子供は僕しかいません。だから両親の家には、誰も来なくなった」
 
「家の畳の部屋には小さい簡素な仏壇があり、僕の遺影が置かれています。両親はそれぞれ、朝と夜に線香を焚き、目を閉じ、仏壇に向かって手を合わせる。母さんは1時間近くもそうしていることがあった。彼らが心の中で何を言っていたのかは、僕にはわからない。
 労災申請を断念した頃から彼らはほとんど話さなくなり、生活に必要な最小限の会話しかしなくなっていた。家は誰も住んでいないかのように静まり返っていた。テレビの音も音楽も聞こえない。ただ、母さんが時々、思い出したように小声で言います。
 
『あの子が助けを求めていたのに、何故、頑張れって言ってしまったんだろう・・・・・どうして私はあの時、何一つ確かめようとしなかったんだろう・・・・・何故あの時、すぐにあの子に会いに行かなかったんだろう・・・・・私は何故、あの子を殺してしまったんだろう・・・・・優しい子だった、あんなに優しい子だったのに・・・・・』
 
 違う、母さんのせいじゃない。母さんがどう言おうが、あの時の僕は自殺していた。母さんは親なら誰でも言うべきことを言っただけです。僕は意識の中で母さんに謝り続けていた。今となれば分かる。僕は生きるべきだった。生きていれば、母さんにこんな苦しみを味わわせることはなかった。どんなに惨めになろうと生きるべきだった」
 
「・・・・・父さんはいつも黙って話を聞いていた。初めのうちは止めようとしたのです。でも、父さんが『馬鹿なことを言うな、望はあの会社に殺されたんだろう』と言うと、母さんはうつむいて押し殺すように泣き出し、それはやがて慟哭に変わり、止まらなくなった。何度もそういうことがあって、父さんは黙って聞くことにした。幾度となく同じ話を聞いていた。聞き続けることで、母さんを支えようとしたのだと思う」
 
「優しかった母さんの面影は、どこにも残っていなかった。丁寧に束ねられていた黒髪は乱れた白髪に変わり、顔には悲しみが刻まれ、憎しみと怯えが入り交じったような歪んだ目をしていた。父さんは母さんの前では感情を出さなかった。母さんを支えようと必死だったと思う。
 やがて母さんは、うつ病の薬を飲むようになった。僕は愕然とした。不安でたまらなかった。それからは、父さんはいつも母さんの近くにいた。趣味だった写真も止めてしまった。母さんはベッドの上で過ごす時間が増えた。家事ができなくなり、父さんが代わりに食事を作るようになった。父さんは外に出る時は、必ず母さんを連れて行った。時間を掛けて嫌がる母さんをなだめ、連れ出していた。母さんは父さんに手を握られ、おどおどしながらその後をついて行く。母さんは外の世界に怯えていた。こんな人ではなかったのです」
 
「あの家で僕が高校まで使っていた部屋は、そのままにしてありました。机も、椅子も、ベッドも、布団も、本棚の本も、何一つ変わっていない。机の上には、僕の写真を収めたアルバムが並べられています。ほとんどの写真は高校までのもの、そこに帰省した僕を父さんが撮った写真が何枚か加えられている。
 部屋にはアパートから引き取られた僕の遺品も置かれています。僕の着ていた服はきれいに畳まれ、衣装ケースに仕舞われていた。その中には、あのレストランの制服もあります。父さんは時々この部屋に入り、その制服を取り出して長い時間見つめ、丁寧に畳んでケースに戻していた。父さんは音を立てず、表情も変えないで泣いていた。
 この部屋は、住む人がいなくなり、この家が取り壊されるまで、このままだと思います」
 
「両親の家から車で30分ほどの郊外に、広い霊園があります。高い樹木に囲まれ、ツツジやクチナシが植えられ、緑の芝生が広がり、何百もの墓がある。春にはたくさんの桜が咲きます。遠くの物音や風の音がはっきりと聞こえる、とても静かな霊園です。そこに僕の墓があります。
 両親は毎年、僕の命日に墓に参ります。母さんが墓石に水を掛け、花立ての水を替え、たくさんの美しい花を添える。父さんがマッチで蝋燭に火をつけ、その火を線香に移す。そして手を合わせてそのまま何十分も動かない。その後、母さんが、僕の年を数えます。
 
『あの子も生きていれば、今、41歳』
『あの子も生きていれば、今、42歳』
『あの子も生きていれば、今、43歳』
『あの子も生きていれば、今、44歳』
『あの子も生きていれば、今、45歳』
『あの子も生きていれば、今、46歳』
『あの子も生きていれば、今、47歳』
『あの子も生きていれば、今、48歳』
『あの子も生きていれば、今、49歳』
 
 両親の足取りが年々おぼつかなくなっていく。しわが増え、声がかすれていく。でも悲しみ、苦しみは、変わることなく続いていた。僕はいつも謝り続けていた」
 
「意識体になって10年が近づいた頃、僕はもう一度、僕が生きたあの時代に生まれ、教師になりたいと思うようになった。自分の経験したこと、意識体となって垣間見たこと、僕が学んだことを人々に伝えたくてたまらなくなっていた。伝えなければならないと思った。これ以上の犠牲者を出さないために、そして、この異常な社会を変えるためにです。
 僕は神様にお願いをした。神様は『わかった。あなたが強く願った時、あなたは、あなたが望む時代の教師となるべく生まれ出る』と言われた。そして言われた。『あなたの新しい人生では、今のあなたの記憶にある人々と会うことはできない』」
 
「僕の次の命日が来ます。両親は毎年と同じように、僕の墓の前で手を合わせ、長い間、目を閉じて動かないでいた。単調な淡い灰色の穏やかな曇り空の下で、風が樹々をそっとそよがせ、湿気を含んだ冷たい空気と線香の煙を静かに運んでいた。
 ようやく二人が目を開きます。しわだらけで歪んだ母さんの悲しい顔。表情が消えてしまったかのような父さんの寂しげな顔。
 
『あの子も生きていれば、今、50歳』
 
 母さんがかすれた声でそう言って、僕は『お父さん、お母さん、うまく生きられなくて、本当にごめん。こんなにも苦しませてしまって、本当にごめん』と言った。
 
『・・・・・行ってきます、さようなら。本当に・・・・・ありがとうございました』
 
 僕は長い間、父さんと母さんの顔を心に焼き付けるように見つめた。
 そして強く願った。意識体の記憶はそこで途絶えます。


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