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どうでもいいことで、今日も悩もう。

 悩みがあって、つらいとき。この悩みが消えれば良いのに。と思いませんか。また、ある悩みが解決したら、すぐに、また別のことで悩む。こんなことの繰り返しで、また、これが解決しても、また何かで悩むんだろうなと思って、気が滅入ることはありませんか。悩みは、たしかに、煩わしいものです。しかし、悪いものとして考えてしまうと、いつも嫌な気持ちを抱えてしまうことになります。それよりも、悩みはあたりまえなものとして受け入れて、悩むことを、呼吸をすることや笑うことと同じくらい自然なこととして捉えてみる。そうすると、悩むことに対して、少し楽に感じるかもしれません。

人間は、非合理的。

 誰かの悩みを聞いたときに、「良い解決策があるのに、なんでそれをせずにいるんだろう。別に悩まなくてもいいのに、なぜこだわっているんだろう。」と思うことはありませんか。他人の悩みは、冷静に聞けて、合理的に分析をすることができるため、合理的に考えると、なかなか悩んでいる人の思考回路がつかめません。他人の悩みに対しては、合理的な判断を下せます。しかし、とかく自分の悩みになると、非合理な考えや結論が、出たり、なかなか手放すべき悩みを手放さなかったりします。しかし、それは悪いことでも、特別なことでもありません。そもそも非合理的なのが、人間なのです。合理的に行動をすることを人生の信条においている場合は別ですが、合理的に行動することや行動できるようになることが、生きる上での目的・目標ではないはずです。そこで、くよくよと悩んだっていいのです。普通のことなのです。

人は、悩みたくて悩む。

 今の自分が、5年前、10年前の自分を見たら、「まったくくだらないことで悩んでいるな。そんなに悩まなくていいのに」と思うかもしれません。「悩んでいる暇があれば、もっと行動していれば、違う今が待っていたかもしれない」などとも思うかもしれません。しかし、そんな今の自分も、5年後、10年後の自分が見たら、「なんでそんなことで悩んでいるんだ」と思われるに違いありません。その過去の自分はおそらく、悩みたくて、悩んでいたのです。そして、今の自分も、悩みたくて、悩んでいるのです。それを無駄なことと捉えるから、嫌な気持ちになるのです。

悩みたくなければ、悩まなくてもいい。

 あまり悩まずに生きている人たちも多くいることでしょう。悩まない人は、悩んでいる人が、どんな心持ちで暮らしているのか想像が難しいですし、悩んでいる人は、悩まない人が、どんな心持ちで暮らしているのか想像が難しいです。しかし、悩む人、悩まない人。どちらもいるということは、悩みたくなければ、悩まなくてもいい。ということなのです。悩んでもあたりまえ。悩まないのもあたりまえなのです。それでも今日も悩んでいるということは、少なからず、悩みたいから、悩んでいるのかもしれません。悩むことに、何らかの意義を感じているはずです。

どうでもいいことで、今日も悩もう。

 他人から見たら、未来の自分から見たら、どうでもいい今の悩み。もしかすると、3日後の自分からみても、どうでもいいと思えてくる悩み。さらにいうと、実は、自分でも「どうでもいいだろ」とツッコみながらも、それでも悩んでいる悩み。悩むことは、自然なこと。今日も、どうでもいいことで悩みましょう。どうでもいいことで悩んでいいんだと思えると、悩むという行為も楽になるし、悩みそのものに対しても、少し楽に感じられます。そして、また、悩みは、絶対的なものではない。悩まない人もいるのだから、悩んでも、悩まくても本当は良いのだ。と心のどこかで思えていれば、さらに気持ちが楽になるかもしれません。

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ぱわぼう
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