連れ出された後 (31文字で吉川晃司 -その2)
ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』(1967年)の有名なラストシーン、結婚式場から意中の女性を劇的に奪い去るのですですが。
連れ出されるまではロマンティック!
しかし連れ出された後の人生はどうなる?
というのは飲み屋やバーなどでも今までも良く語られてきたテーマだと思います。
伊勢物語にも駆け落ちの描写はあります。
僕が伊勢物語のメインキャストに勝手に配役させていただいている吉川晃司さんには「誰が引きとめても 土曜の夜さ 連れ出してあげる」という歌詞がありますが、1⃣
伊勢の主人公在原業平もやっぱり「引きとめても 連れ出しちゃう派」です。
前回もお話しましたが、この男、恋の為ならなんでもしちゃう無法者なんですけれども、最終的にはギターをつま弾いてラブソング歌うとみんなうっとり(現代風にいうと!)。
色男の圧倒的な熱量と強引さ。
しかし一方、強引に連れ出された女性の方はというと・・・
ようやくゲットした高貴な女性は鬼に食べられたり(第6段)、
駆け落ちしたばっかりに武蔵野の女性は草むらで隠れているところを追手に火を放たれたり(第12段)、
と序盤だけでも結構痛い目にあわされてます(笑)
でもそんな時でも、
歌の精神を忘れないのが業平。
第六段では、こんな歌を詠んでいます。
白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
現代語で説明させていただきますと抄訳(関西弁)2⃣
「あれ白玉(真珠)ちゃうん?」 って君がきいて BABY
わしが 「露やで」って答えた時に BABY
ホンマ露みたいに消えてもうたし BABY
わしも一緒にそん時 消えたかったわ BABY
いかなる非日常の出来事(鬼が女を食べる)が起ころうとも、
そこは業平、そもそもが非日常に生きる男です。ショックで歌えなくなる、というようなこともないですね。鬼に食べられようと、歌心だけは忘れない。3⃣
歌物語もミュージカルもそうですが、どんな時でも主人公たちが歌で表現をするのが面白いですね。
現代なら「この味がいいね」って君が言っててきても鬼には食べられないですが4⃣、 しかし、ここは平安時代。鬼も怨念も健在で、急に食べられることも稀にあります。5⃣
流浪の者に恋をしてみても、定住者の幸せの願望はついに成就することは出来ず、代わりに歌を詠んでそのはかなさを結晶化することしか叶わない。
そこがラブソングがラブソングたる所以なのでしょう。
一生一緒にいてくれや、というのも素敵なのですが生活上にある歌だけでは、生涯恋愛現役の業平を誕生されるのは出来ないでしょうね。6⃣
Don't Stop My Love 恐るべし
そしてまた一瞬の恋を結晶化できるような感性と技量がなければ、誰も破滅的な恋には落ちないのでしょう。
注
1⃣ COMPLEX 『恋をとめないで』(1989年)のサビのフレーズです。
家の前で待ってるよ 誰が引き止めても土曜の夜さ 連れ出してあげる
2⃣ 関西人の友人に添削をお願いしているのですが、和歌の説明(日本語訳)は関西弁にしろと指導されました。
でも、僕はその面白さがあまりわかっていません!
3⃣ この第6段の歌(また第12段の歌も)も共に古今和歌集にもある歌で、少しだけ言葉が違います。また古今集の編者の一人紀貫之が伊勢物語の作者とする説もあります。
4⃣俵万智 / 歌集『サラダ記念日』(1987年)より
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
5⃣ これを鬼一口(おにひとくち)といいます。鬼が一口で女を食べてしまう。『日本霊異記』『今昔物語』(共に平安期)にも鬼一口の話はあります。思いをよせる男女のうち、やはり女性の方が鬼に食べられてしまいますが、鬼がやってきたのではなく、実は男の正体が鬼だったという話。ひょっとすると、これは女からみたプレイボーイは、情事のあと鬼に変わってしまうことを意味してるのかもしれません。
6⃣ 三木道山 『Lifetime Respect』(2001年) より
一生一緒にいてくれやみてくれや
才能も全部含めて愛を持って俺を見てくれや