執着と愛着
「利尻昆布、500円、いかがですかー?」
商店街で元気に昆布をおすすめする声。
なぜここで昆布?
不思議に思って聞くと、「知り合いがたくさん貰ったからと置いていったの。だから売っちゃうの」だと言う。
いただいた物を売っちゃうとは、商魂たくましいとはこの事?
私も少しは見習わなければ、と思う(^^;)
昆布はいらないけど、他にどんな物を売っているのだろうと見てみると、
店先の端にダンボールの箱。
ゴミ箱かな?と近寄ると、「500円」と無造作に書かれていて、こちらも商品なのだとわかる。
手作りらしきバッグ等が投げ込まれた山。
「バザー的なものかな」と何気なく手をのばした。
一瞬見えた紫色の厚手の生地。
紫色は亡くなった母が好きだった色。
「あ、お母さんのコートってこんなだったな」と拾い出そうと触れた瞬間、胸になつかしい母のエネルギーが伝わってきて、本当に母のものであると直感した。
手にとり広げてデザインを確認しなくても、それは9ヶ月前に亡くなった母のコートであることに確信があった。
どうしてここに母のコートが?
混乱する頭の中で答えを導き出そうとするが、かえって頭の中は真っ白に。
呼吸が止まっていることに気づき、深く一息入れて徐々に頭が働き出した。
これは形見分けにと、友人に渡したものだった。
そしてここはその友人が経営する店。
箱の中をさらに見てみると、母のブラウスやスラックス等も見つかって、気付くと箱から救済して胸に抱きしめていた。
店員さんに「サイズ、合います?」と聞かれて
「母の遺品なんです」と、トンチンカンなことを言う。
驚いた様子の店員さん。
信じがたかったに違いない。
それとも「頭のおかしな奴」と思われたか?
私が友人に”無償”で渡したものとは言え、今は商品として並んでいるもの。
買い取りたいと言うつもりで友人の前へ持って行くと、
友人の方から「ごめん!」と声がかかった。
「いただいたけど自分では使わないと思って、処分するよりは誰か使ってくれる人に使ってもらう方がいいと思ったの」。
それを聞いて「もっともだな」と思う一方で、
涙をこらえ、また止まろうとする呼吸を止めないようにするのが精一杯だった。
「持ち帰っていいかな?」そう言うのが精一杯だった。
「もちろん」と友人。
そしてしきりに「ごめん」と繰り返す。
彼女に悪気などあろうはずもない。
合理的であるだけだ。
ショックから立ち直りはじめ、少しずつ思考が戻ってくる。
肉親にとっては特別な物でも、そうでない人にとって「物には物としての価値しかない」のだと理解し始める。
それは仕方のないことだ。
差し上げたものをどうしようかは私が決める範疇のことではない。
幸い、と言うべきか、差し上げた物で売れてしまったものは無いらしい。
なぜか安堵する。
物は物でしかないと頭では理解するけれど、それでも知らない人の手には渡したくない自分がいることを実感する。
繰り返し言うが、友人に非は無い。
彼女を責める気持ちは全く浮かばない。
むしろ、いろいろなことに気づかせてくれた出来事に感謝する。
自分の中に、物への執着が残っていること。
「物は物。それ以上でもそれ以下でもない」と高次元から学んでいたはずなのに、物への執着がまだ残っていたとは。
17ヶ月前に亡くなった父の遺品でさえ、まだ整理できていない自分。
思い立ったときに心を鬼にして少しずつ手放してもいるけれど、手放せていない物の方が多いかもしれない。
物への執着、アリありではないか。
それらを手放したとき、私はまた一つ真理へ近づけるのだろうか。
物に頼らずとも、愛着を維持し続けることは出来るのだろうか。
まだまだ葛藤の中にいる自分に気付き、答えを出すことを先においやろうとする自分にも気付き、これが高次元からの”お試し”、両親を亡くした哀しみから、もっと先へ進むようなメッセージではないことを祈りながら、数カ月ぶりに自分のためにリーディングしてみる。
「お試しであろうはずがないことはわかっているでしょう?それよりも自分の感情を大切になさい。感情のバイブレーションが身体に作用していることにもっと気を配り、敏感になりなさい。」
「それはつまり、私が身体を大切にしていない、ということ?」
「その通り。あなたの感情的負担を、もっと私たちにゆだねなさい。自分ひとりで解決しようとすることはやめなさい。私たちにはその準備が出来ています。あとはあなたがどうしたいか、どうするか、です」
私がギュッと握って手放していないのは物への執着でなく、自分で何とかしようとするクセであったようだ。
自分の世界で考えたところで出てくるのはその世界の範疇を超えない。
よりよい導きを得たければ、それよりもっと高い次元から答えを導き出すこと。
そんな原理原則さえ実践できていないとは、スピリチュアル能力が錆びついている。
そうして再び母のコートに触れてみると、そこにはもうほとんど母のエネルギーが抜けていた。
母が私を気遣ってこの出来事をくれた。
そんなふうに思う。
ところで余談ですが、こうしたリサイクル品を買ったときには、前の持ち主のエネルギーを抜いてから家に持ち帰った方がいいですよ。
物についたエネルギーは良いものばかりとは限りませんからご注意を!
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