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微苦笑問題の哲学漫才26:レヴィ=ストロースと構造主義編(前編)

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回は2009年10月30日に満100歳で没したクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)です。
 苦:ああ、みんな死んだことよりも「まだ生きていたのか!!」と、そっちで驚いたよな。
 微:『野生の思考』が思想界に衝撃を与えたのが1962年ですから、無理ないですね。
 苦:日本人が2010年の『ゲゲゲの女房』で、まだ水木しげるが生きていたことを知ったようなもんだな。
 微:従軍体験の恨みから「中曽根より先に死ねん!!」と誓ってるという噂もありますが。
 苦:その中曽根も死んだな。ギャル曽根は芸能界で生き残ってるけど。
 微:話を戻すと、レヴィ=ストロースはブラジルのアメリカ大陸先住民の神話研究からスタートした人類学者で、コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1959~84年まで担当しました。
 苦:ブラジル先住民からは「白い呪術師」と呼ばれたそうです。
 微:それはアフリカ諸国で監督をしていた頃のトルシエだろ!! レヴィ=ストロースは「構造主義の祖」とも呼ばれ、ミシェル・フーコー、ラカン、ロラン・バルト、アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、「現代思想としての構造主義」を担った中心人物です。
 苦:浅田彰センセイのレベルか?(白目)
 微:分かってて余計なことは言わないように。日本の有名どころでは上野千鶴子や内田樹の二人は共にマルクスとレヴィ=ストロースの影響を強く受けています。
 苦:アメリカのジーンズ・メーカー「リーヴァイス」の創業者とも系図上は繋がっているんだろ? 名前からしてモロにユダヤ系だし。
 微:おっしゃる通り、ベルギーのブリュッセル生まれですが、両親ともアルザス出身のユダヤ人でイトコ婚の夫婦でした。
 苦:親族の基本構造としての交叉イトコ婚のアイディアは自分の家族だったのか。
 微:偶然です(キッパリ)!! レヴィ=ストロースは父親が画家だった関係で、少年時代にピカソやストラヴィンスキー、ヴァーグナーなどを同時代的に摂取しました。
 苦:女癖が悪い連中の影響をよく受けなかったな。
 微:関係ないですね。またジャポニスム期を生んだ浮世絵を初めとする日本の文物にも親しみ、彼の異文化の美術工芸に対する理解の下地となっています。
 苦:つぎはぎの雑巾を見て「ブリコラージュ」を思い付いたそうです。
 微:早すぎます。また両親の友人らを通じて早くからマルクス主義に触れ、高校時代から社会主義運動に参加し、社会党代議士ジョルジュ・モネの秘書を勤めるなど政治活動もやってました。
 苦:その相手の懐にぐいっと入っていく技がブラジルで生きたんだな。
 微:パリ大学で法学の学士号を取得しながら哲学を学び、哲学のアグレガシオン(教授資格試験)に合格します。合格後の教育実習の同期生にはメルロ=ポンティ、ボーヴォワールらがいました。
 苦:教育実習が神々の饗宴とは、さすが文化大国フランス!! でも絶対に郊外の高校じゃないな。
 微:レヴィ=ストロースは教授資格取得後、2つのリセで哲学教師を経験しますが、それに満足できませんでした。
 苦:美青年がいなかったことに腹を立てたそうです。
 微:その趣味はありません。そこにパリ大学のブーグレから新設サンパウロ大学の社会学教授赴任を打診され、興味をもち始めていた民族学のフィールドワークへの期待を抱いてブラジルへと渡ります。
 苦:なんか、世界システム論のイマニュエル=ウォーラーステインとフェルナン=ブローデルの出会いもサンパウロ行きの飛行機の中だったよな。フランス人には、飛行機は出会いの場なのか?
 微:『エマヌエル夫人』という例もありますがね。さて、大学教授として、1932年の護憲革命後の新たな社会の担い手たる新興ブルジョワ層出身の学生相手に社会学を講じました。
 苦:実証主義コントが大好きな国だもんな。
 微:そして妻ディナとサンパウロ州の郊外を中心に民族学のフィールドワークに取り組みました。
 苦:ブラジルは国旗にコントの言葉を記すくらい、フランス社会学が好きなんだなあ。
 微:片思いです。2年間の大学教授生活の間は、主に大学の休暇を利用して現地調査を行い、長期休暇の際には、パラグアイとの国境地帯に居住していたカデュヴェオ族や、ブラジル内陸のマトグロッソ地方に居住していたボロロ族のもとでの調査を行いました。
 苦:もうその頃はかなりコーヒー農園とかで原生林も減っていたんだろうけど、広いもんな。
 微:これらの調査結果は、フランスへの一時帰国の際に、マルセル・モースらの後援でパリの人類博物館などで発表されました。
 苦:モースと同時代というのだけでも凄いよ。
 微:その後、大学からの任期延長を断り、1936年からほぼ一年間、ブラジル内陸部を横断する長期調査をし、ナムビクワラ族やトゥピ=カワイブ族など、いくつかの民族と接触・交歓しています。
 苦:あまりに原住民との生活が楽しかったんで『楽しき熱帯』を出したんだな。
 微:原住民との生活が楽しかったのは水木しげるで、正しくは1955年の『悲しき熱帯』だよ!! この本でブラジルに渡るまでの経緯、ブラジルでの現地調査、アメリカ亡命と大戦後のフランス帰国などの体験をレヴィ=ストロースは印象的に回想しています。エアコンのないキミの夏は「悲しき熱帯夜」だな。
 苦:うるせえよ!!
 微:話を戻すと、ブラジルでの長期横断調査の後、レヴィ=ストロースは第二次大戦前夜にフランスに帰国して応召しましたが、敗戦により兵役解除となり、一旦は南フランスに避難します。
 苦:どうせならアルジェリアまで行けばいいのに。
 微:ですが、ヴィシー政権によるユダヤ人迫害が迫るのを逃れて、マルセイユから船でアメリカ合衆国へ亡命しました。同じ船上には、シュールレアリスト詩人のアンドレ・ブルトンもいました。
 苦:ウルトラマンの不条理怪獣の名前にもなったあの人だな。
 微:インパクトでは三面怪獣ダダに負けてましたけどね。亡命先のニューヨークでは、ブルトンらシュールレアリストたちと親しく交際し、一緒にアメリカ先住民の美術工芸品の収集を熱心に行いました。
 苦:その話を聞くと、2017年の国立博物館の火事は悲しいな。オリンピック開催の二次被害。
 微:また社会人大学のニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチで文化人類学の講義をしますが、そこの教師も受講者もヨーロッパからのユダヤ系をはじめとする亡命知識人たちが多くいました。
 苦:「ゲットー大学」と呼ばれたそうです。
 微:不謹慎だよ!! その大学の同僚にアメリカに亡命してきていた言語学者・民俗学者のロマン・ヤコブソンがいました。
 苦:クロイツフェルト・ヤコブだったら怖いなあ。ブルブル、フラフラになりそう。
 微:それは人間の狂牛病だろ!! 二人はお互いの講義を聴講しあい、レヴィ=ストロースはヤコブソンから、ソシュールが主導してきた構造言語学の方法論、とりわけ音韻論の音素およびその二項対立的な組成、さらにゼロ音素の概念などを学びました。
 苦:出た! 二項対立。
 微:ブラジルでのフィールドワークで漠然と感じていた、親族構造論の骨格としてヤコブソンの発想=二項対立的を活用することをレヴィ=ストロースは思いついたのです。
 苦:つまりはイタダキしたんだろ?
 微:発見とは、既知の事項間の新しい関連を見出すことです。言語学というか記号論の新しい可能性を見出したのです。
 苦:まあ、言葉は人をつなぐものだし、言語によって世界の分節方法は違うからなあ。
 微:レヴィ=ストロースがアメリカで書いた1945年の論文『言語学と人類学における構造分析』は、言語学の二項対立を方法論として親族組織分類に使えるか試したものでした。
 苦:テレビショッピングの「お試しセット 今なら1000円!!」だな。
 微:世田谷自然食品じゃねえよ!! 大戦終結後もアメリカで研究を続け、自分の見通しを精緻化するため、デュルケム学派の親族論の批判的継承を行い、さらにモースの贈与論を活用するアイディアを得ます。
 苦:だいだらぼっちだな。
 微:ポトラッチだよ!! その上で従来の人類学・社会学の近親相姦タブーや親族関係の主題を網羅し、女性の交換を親族構造の根本的機能であることを提起した序論および第1部と理論部を書き上げました。
 苦:その時点でハイデガーを超えたな。
 微:それに続いて、ニューヨーク公共図書館に通いつめ、そこに所蔵されていたオーストラリアから北東・東南アジア・古代中国・インドの親族構造に関する文献資料を検討します。
 苦:一夫多妻というか一夫一妻多妾制の事例だらけだな。
 微:それらを題材に女性の交換こそが親族の基本構造であることを第2部・第3部で例証した博士論文が1948年頃に完成します。後にフランスで公刊され、人類学を一変させた大著『親族の基本構造』です。
 苦:「交歓」「交換」「公刊」と好感度NO.1男だな。しかも『親族の基本構造』完成プロセスこそが、まさに要素間の構造こそが本質であるという構造主義の構造というか主張になってるし。
 微:おっしゃる通りです。帰国したレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』は、1949年に論文審査に合格し、フランスで公刊されました。
 苦:でもフランスの学術書って部数が少ないんだろ。知識人が少ないし。
 微:エセ知識人の多い日本より生産的・革新的です。神話学者ジョルジュ・デュメジルの紹介により、高等研究実習院に職も得て、未開社会における宗教をめぐるセミネール(ゼミナール)を担当します。
 苦:まだいっぱい植民地を持ち、独立を阻止していた時代を感じてしまうな。
 微:この後、1951年、1952年の2度にわたってコレージュ・ド・フランス教授選へと立候補しましたが、学閥争いで落選します。
 苦:うーん、カニバケツ状態になるのか。フランス知識人でも。
 微:ですが1952年にユネスコの反人種主義キャンペーンのための小冊子『人種と歴史』を書き、1955年の『悲しき熱帯』がセンセーショナルな評価を獲得しました。
 苦:You Tubeで一週間に6万回再生されたそうです。
 微:Sengoku38かよ!! 3年後のに自らの方法論を冠した初めての論文集『構造人類学』も出版し、『基本構造』で「学界内著名人」だったレヴィ=ストロースの名前は、一気に世間に知れ渡りました。
 苦:「隠れ名店がネットに上げられた」と地元の馴染み客が怒ったそうです。
 微:1958年のコレージュ・ド・フランス教授職の立候補に勝ち、翌1959年から教授に就任しました。
 苦:なんでキミが興奮してるの?
 微:これはコレージュ・ド・フランスに社会人類学講座という人類学系の講座が初めて設けられたことを意味するからです。またこの社会人類学講座の創設と前後して、人類学の学術雑誌『L'Homme(人間)』が、彼の呼びかけのもとで発刊され、フランスにおける人類学研究の拠点というか軸が形成されたのです。
 苦:シュトラスブルク大学をストラスブール大学として再出発させ、マルク・ブロックやL.フェーブルらが集められてアナール学派が形成された、あの夢をもう一度だな。完全に狙っている感じ。
 微:新しい物の価値を世界で最初に理解することがフランスの学問業界では大事なんです。印象派を評価することで芸術の国としてフランスが生まれ変わったように。
 苦:教授就任に尽力したメルロ=ポンティはサルトルの親友だったし、複雑な気持ちになっただろうな。
 微:それはまだ先の話です。教授就任と前後して、レヴィ=ストロースの研究活動の中心は、未開社会の神話研究へ移っていきます。
 苦:事物そのものの後ろにあるものへ向かったと。
 微:パリの人類博物館や高等研究実習院の人類学関連部門と連携しつつ、セミネールを運営しながら研究活動を行っていきました。
 苦:定年後の大学の先生が「大学院のゼミは回春剤だ」と言ってたが、そうだろうな。刺激的だし。
 微:これ以降、1984年のコレージュ退職までに刊行された著作はすべて、まず講義において着想が練られ、聴講者との議論を経てから刊行されたものです。
 苦:昭和の大学での講義って、論文の構想を教授が話し、学生の反応を見て修正・補強してたよな。
 微:『野生の思考』(La Pensée sauvage)は1962年に発表され、その表紙は野生種の三色スミレでした。
 苦:中沢新一センセイの「カイエ・ソバージュ」シリーズのパクリ元だな。
 微:思考(pensée)とパンジー(pensée)を掛けたわけです。同年に『今日のトーテミスム』も先に発表されましたが、こちらは『野生の思考』の「歴史的批判的序説」に当たり、相互に緊密な関係にあります。
 苦:しかし、日本のキャンプ地管理者は1ミリも理解してないと思うぞ。
 微:前年度の講義「今日のトーテミスムおよび野生の思考」を下敷きにした『今日のトーテミスム』はトーテミズムという概念を批判的に検討し、従来の用法を徹底的に解体し尽くしたものです。
 苦:これをヒントにスーパーマーケットでマグロの解体ショーが始まりました。
 微:ウソも大概にね。これのこなれた紹介としては上野の『構造主義の冒険』(勁草書房)を挙げておきます。しかし、紙数も尽きたので、つづきとそのオマケとしてロラン・バルトをはじめとするポスト構造主義や記号論について軽く次で扱いますね。

作者の補足と言い訳
 眉唾的ではありますが、やはりユダヤ人(ユダヤ教徒)共同体から現れる学者の数とレベルは、知的達成度の水準においても、革新性においても突出していることには何らかの理由があるはずです。
 有名ところではフロイト、アインシュタイン、最近ではサンデル教授でしょうか。ハリウッド関係者や音楽関係を挙げれば文字通り数え切れないでしょう。遺伝子レベルで違うとは思いませんが、ブルデューの「文化資本」だけでは説明できない何かがあります。それを日本でトンデモ陰謀論とは距離を置いて論じた最初の本が内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春文庫)で、その理由をレヴィナスの議論を使ってユダヤ教の教義に求めています。個人的には社会というか世界への違和感というか疎外感が、通常なら見過ごされたり、誤差として無視される細部を意識化させ、「書かれざるルールの言語化」へと繋がっているように考えています。
 一番最近読んだのは『悲しき熱帯』(中公クラシックス)ですが、国旗にポルトガル語でコントの「秩序と進歩」と書かれた白人・先住民・黒人の混淆社会ブラジルは、近代世界と接触したがために滅びつつある先住民が滅びつつある一方、文明社会と接触を持たないままの氏族集団が存在しているという、人類学にとって最後の研究の宝庫でした。その研究対象となる移動する先住民氏族社会も滅びつつあり、彼らに同情あるいは哀しみを感じながらも、「こんなところで仕事をしている自分」にも哀しみを感じているレヴィ=ストロース。そしてそのブラジルが世界から尊敬に値する国として認知されるきっかけとなったのが1958年のサッカー・ワールドカップでのペレの活躍と優勝でした。

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