読み間違えじゃないよ、遊んでるだけだよ。
ゆらゆらとしてただそこにあるもの
立ち上がってくるもの
見えてくるもの
陽炎
かげろう。正直「陽炎」がテーマで何も思い浮かばなかった。この言葉に馴染みがなさすぎる。唯一思い浮かんだのは、サカナクションの曲くらいだ。
あの印象的なイントロ。そして、こぶしが効いた「カァゲロウッ」。
ああ、なんとも言えない。
声が泣いているような。
感情を爆発させながら、泣いているような。
哀しそうな、でも奥底には喜びも潜んでいそうな。
よう、いえん(陽炎)。
よう、いえん
私たち人間の五感は素晴らしい。たくさんの情報を瞬時に感じ取って統合して処理している。とくに視覚情報。ここまで書いてみて思い出した。
オーストラリアの大自然を前に言葉を失った私がいたではないか。自然は話さない。言葉以外でいつも教えてくれる。
この写真からわたしはこの瞬間を思い出す。
耳の横で鳴り止まない風の音と遠くの方に聞こえる波の音。自分の身体を強く撫でてくる風の強さ。暖かい日差し。少し湿気を帯びたムッとした匂い。青とも緑とも形容し難い、とても綺麗な海の色と手付かずの砂が魅せる自然の模様。
ここに来るまで車から見ていた風景と車から外に出て開放感を感じる身体の感覚。写真で見ていた景色と実際のギャップ。
自然の雄大さ、怖さ、美しさ。何か自分の中が見透かされているような感覚。目を閉じると自然の中に溶けていく感覚。
家族の笑う声。
五感はいつも教えてくれている。何に自分の心が響くのか。何を恐がっていると思っているのか。何を喜びだと感じているのか。
酔う、うえん
もうずっと、10年くらいほとんどお酒を飲まない生活をしている。そもそも弱いのだ。身体がお酒を受け付けない。
今思うと、いつもなにか虚無を感じていた。周りはお酒を飲むと楽しくなってるのに、わたしはなれないというギャップ。埋められない溝。お酒を飲んで楽しくなれないことで、何かダメなレッテルを自ら貼っている。勝手に溝を作っている。
なんとなく、お酒が飲めることって大人になる感じがあった。いつまで経っても大人というそれになれない私がいる。うえーん。
良い悪いじゃないのに。自分の中の矛盾した気持ちの整理のためにどこかに歪みを生ませていたように思う。それが苦しかった。自分が自分の溝に落っこちてしまわないように。
しかしあるときから、お酒を飲まない自分で過ごしてみることにした。めちゃくちゃ楽になった。だって、事実なんだ。お酒に対して正直になって楽になった。何かに抵抗するエネルギーがなくなった。お酒が飲めなくても、その場でわたしも楽しくなれた。変に溝を作ってごめんよ。
人とは違っても、そんな自分をそのままでいいと許可すると、スッと楽になる。
you and…
もはやこれを思いついたから、こういう構想のnoteにしたのかもしれない。どうやってこの言葉に繋げられるだろうか。そんなこと考えていた。
突然ですが、わたしはラーメンズが好きなんです。大学生のときサークルの先輩から彼らの存在を教えてもらって。それ以来ずっと好き。
大好きな彼らみたいにはいかないのだけど、こんな言葉遊びを思いついたとき、なんだか自分の中の世界観を表現してみたくなった。そして、その衝動を抑える気持ちも同時に生まれた。
だってもう意味がわかんないもん。でも、意味なんてないのだ。それでもこんな風に言葉で響きで自由に遊びながら、表現したいことに昇華していく。意味がなくても、その私で生きていくことが意味なのだ。
そう思うと、これまでただ好きという理由だけで、とにかくコンテンツを吸収してきた自分がニヤッと笑う気がした。
陽炎
いやぁ、ほんとに。よくここまで辿り着きましたね。お疲れ様でした。読んでくれてありがとうございます。あなたを置いてきぼりにしていないかと、ヒヤヒヤする自分がいます。今、この曲に励まされながら書いています。
ふふふ、哀しみの奥で喜んでる私がいます。
さて、ここまで書いてみた私の目の前にゆらゆらと確かに何が立ち上がってくるものはなにか。
ただそこにある、ありのままを受け取る。紡いでみる。ただそれを受け取るだけでいい。
わたしの中に湧き上がる衝動。
それをどうにかしようとしなくていい。
その存在を認める前と後の世界はもう違うから。
アドベントカレンダーもあと数日でおしまい。受け取ったバトンを繋ぐことができて幸せです。この夏、素敵な仲間たちが紡いだ言葉たちはこちらです。ぜひ覗いてみてください。
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