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祈りが足りないんじゃないの?



 これを書いたあと山藤賢氏の本を読んで、その前に数年前に読んだ同氏の2冊の内容を思い出し、やはり今回もティール組織の仕組みについてまで思い出して、ふと、2018年、仕事を辞めたあと、ただとにかくがむしゃらに好きなことを、心が落ち着くことを、といろいろ調べたり本を読んだりしていた時に思っていた何かを、その時感じて、記憶しておこう、こう生きていこうと、思っていたことを、これまで忘れていたのではないかと思わされた。


 今回読んでいたのは『社会人になるということ〜令和版〜』。



 これを読み終わった後に出てきた言葉は、
『20代で得た知見』にあった、
「祈りが足りないんじゃないの?」だった。


 しばらく恋人に会わないとどうでもよくなってしまうから、いつでも恋人に会いたいという人に、既婚女性が言った「あなたには、祈りが足りないんじゃないの?」
「会いたいと思わせてくれることも有り難いことなんだよ」

というシーンが同書にある。

 同書の中では、恋愛についての文脈だったけれど、祈りが足りているのか、ということは、わたしの進路や人間関係、今の生活など、人生全般に突き刺さる。


山藤氏の本を読んでいる途中思っていたのは、
ここに書いてあることを心に留めよう、ということとティール組織と繋がってるなということと
父がわたしに言ったことと同じ要素だなと思ったことと、
ああ、確かにわたしの尊敬する友人たちこれが自然とできてるなってことと、


 それから、わたしがそうならないように、

 "祈りの足りない"人との付き合いをやはり減らそうということ。


 思えば、今持っているもの、を持っている幸福を、特に私たち日本人は、(とまとめてしまうのもどうかと思うので、わたしの周囲一般としての)"わたしたち"は、感じにくい。


 住居があること、家族がいること、友人がいること、たとえ非正規でも働く場所があること、服が着られること、食べ物に困らないこと、悩んだ時友人がいてくれること、とか、全部含めて、本当は当たり前じゃない。

 わかっているけど、どうしても当たり前になってしまう。それは多分、祈りが足りないから、なんだろうと腑に落ちる。


 そう言えば、以前、知り合いのお坊さんに相談をしていたときも、部屋が片付かないというのは、心の状態がぐちゃぐちゃだから、頭もぐちゃぐちゃになって、部屋に現れる。つまり、心をきちんとして、さまざまなものに感謝し、平穏にし、努めていれば、自然頭の中の霧が晴れ、部屋も綺麗になるはずだと言われて、あれから一年以上経つが依然部屋は汚いまま。


 あれと、同じ理論だと思う。

 目の前のこと一つ一つを本当に有り難いものとして丁寧に、ちゃんと向き合って生きていれたら、祈っていたら、自然どんな状況でも幸せも見つけられるし、どんなことが起こっても、有り難いことを見つけられる人間になるような気もする。



 まだ上手く言語化できないけれど、多分そういうことだと思う。


 だからわたしは、

祈りの足りない人を周りから減らし、自分の祈りの足らなさを自覚して励み、祈り続けることで、そしてそういう方をまわりに惹きつけることで、自分が上がっていき、上がっていくことで自然祈る人間たちと付き合える"程度"の人間に、自分自身が上がっていくしかないな、と思う。

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ゆかまる
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