冷凍のミックスベジタブル
ー 「この味がいいね」と君が
言ったから七月六日はサラダ記念日 ー
26歳か27歳の誕生日祝にもらうまで
読んだことのなかった私でも、
小学生の時から知っている。
俵万智の『サラダ記念日』。
でも、恋をいくつか経験して、
やたら恋愛のことばかりだけは、
胸を締め付け、身体中の水分を
涙として放出させてしまうような
私の身体は、恋の短歌ばかり
追ってしまう。
『サラダ記念日』は、口語のようで
ちゃんと五・七・五・七・七の
短歌になっている。
口語のようで短歌といえば私は、
小中学生の時から加藤千恵の
『ハッピーアイスクリーム』が
好きだった。
今も好き。
ハッピーアイスクリームは、
なかの文字の配置や挿絵、
文字フォントの置き方も気に入っている。
当時17歳だった、歌人だからできた
言葉、フォント、真っピンクの表紙。
その率直な言葉が今は眩しいし、
懐かしい。
小学生の時から、好きだったのは
その大人には分からないだろうけど!
みたいな感覚のところや、
自分のちっぽけさを強調したものだった。
例えば、
恋なのかわからないけれど
一緒に見たい景色ならある
ついてない びっくりするほど
ついてない ほんとにあるの?
あたしにあした
幸せにならなきゃだめだ
誰一人残すことなく省くことなく
正論は正論として
それよりも君の意見を聞かせて欲しい
いくつもの言葉を知ったはずなのに
大事なときに黙ってしまう
泣きそうになるのは誰のせいでもなく
時おり強い風が吹くから
左手が微妙な位置で浮いたまま
なにも言えずにくちづけをした
あいまいが優しさだって
思ってるみたいですけど
それは違います
どれもこれも好きだった。
今も好き。
恋愛の歌も好きだったけど、
加藤千恵はどちらかというと、
17歳の主張!みたいな歌が好きで、
それはきっと私が小中学生の時に
この本に出会ったからなのだと思う。
大人になって読み返すと、
どうも色恋の歌も良いものに見える。
彼女の歌で、この歳になって
すごくよくわかるようになったのは
ー 傷ついた方が偉いと思っている人はあっちへ行ってください ー
だった。
大人になるってそういうことだと、
どこかで思っている。
中高生の私には、女子校で
彼氏だって20歳までいなかった
青春時代の私には
きっと色恋は無縁だったから
どちらかと言うと、17歳の主張!
みたいなのがピンときたのかもしれない、、
今だって、
『ハッピーアイスクリーム』は
好きだけれど、27歳になった私は
『サラダ記念日』みたいなほんわかさをどこかで求めていた。
『サラダ記念日』を手に入れたのは
25〜26歳の時だったと思う。
友人が誕生日に買ってくれた。
なんとなく知っていて、
そこには学生生活の歌だって詠まれているのだけれど、
でも、『サラダ記念日』を
27歳で読み返して
真っ直ぐに突き刺さってくるのは、
『ハッピーアイスクリーム』の時とは
ちがって、
どれも恋愛のウタだった。
それも、加藤千恵が、
そのまま声に出しているような
口語のうたなら、
俵万智の言葉遣いは
どちらかと言えば文語っぽい。
その、文語っぽさの味わいを
情緒豊かに受け入れられるようになったのは、やはり20代後半で読んだからだと思う。
JK時代の私には、
ハッピーアイスクリームが
ピタッとハマっていた、
でも、20代後半の私は
もうJKがの時の感覚が薄い。
色々、経験しながら、もうすっかり
青春が過去になったからだろう。
26歳の時、失恋した。
自分から、彼に別れを告げたというか
一方的に送りつけて終わったけど、
好きという気持ちは一向に
過去にならない。
今でも、泣く。夜中に、一人で
ベッドの中にくるまって
小さくなって泣く。
友人にあった時、
二人きりの空間になれたら
わんわん泣く。
多分、まだ、付き合ってた彼とのこと
思い出したらやっぱり胸がキュッとして涙が出ちゃうから。
私が26の時の恋愛で彼に
問いかけたかったようなこと、
心に浮かんでいたこと。
彼のことを思い出しては
冷静になる日々を延々と繰り返すうち
俵万智の短歌が頭に浮かぶ。
ー 愛された記憶はどこかで透明で
いつでも一人いつだって一人 ー
ー もうそこにサヨナラという語が
あって一問一答式の夕暮れ ー
ー 明日まで一緒にいたい心だけ
ホームに置いて乗る最終電車 ー
ー 愛してる愛していない花びらの
数だけ愛が有ればいいのに ー
ー いつもより一分早く駅に着く
一分君のこと考える ー
ー 我だけを想う男のつまらなさ
知りつつ君にそれを望めり ー
ー この部屋で君と
暮らしていた女(ひと)の
髪の長さを知りたい夕べ ー
ー 愛持たぬ一つの言葉 愛を告げる
幾十の言葉より気にかかる ー
ー また電話しろよと言って受話器置く 君に今すぐ電話をしたい ー
めちゃくちゃわかるうううう。
なかでも
ー 何してる?ねぇ何を思ってる?
問いだけのある恋は亡骸 ー
ー 君のため空白なり手帳にも
予定を入れぬ鉛筆書きで ー
この2つはもう、私の過去ですか?
ってなる。
そのなかでも、ずっと、
ここ半年くらい、頭の中の
俵万智がぽつりぽつりと繰り返す。
ー 思い出は
ミックスベジタブルのよう
けれど解凍してはいけない ー
冷凍のミックスベジタブル。
その言葉がピターっとはまる。
さまざまな思い出の中に、
あの時の気持ちも、今の気持ちも
あの時の彼の顔も、私の心も、
2人で行った場所も、
私から見えた風景も、
彼の体温も、匂いも
彼に触れられた感覚も
全部、どこかにしまってあって
それは
過去の中にフリーズされている。
ずいぶん前、
これを書いた時、思い出はまだ
自分が握りしめていて、取り出さなくても真横にいた。
ずっとこれを忘れたくないと、
思っていた。
握りしめて、消えないように
持っていたはずだった。
少し前、もう、それは、
何かに結びついた思い出に
なっていることに気づいた。
それでも、シャンプーをかえたとき、
それらは箱から飛び出した。
箱から飛び出したはずの
ものは、形を変えて匂いや色をかえて
だんだん薄くなりながら
それでもまだ握りしめている。
けれど、あの時の私とは
もうずいぶん変わってしまったと
わかる。
もう彼の匂いも、彼の手の感触も
彼の車がどんなだったかも
思い出せない。
あんなに忘れないように
刻んでいたはずなのに。
顔だってパッと出てこない。
仕舞い込んだ箱の中には
入っているのだとわかっているけど、
仕舞い込んだ過去が、イマと
繋がってくれない。
冷凍された
ミックスベジタブルみたいな
いろんな色をした思い出たちは
解凍しようとするほど
味が落ちてゆく。
それがわかって、俵万智の
ー 解凍してはいけない ー
の言葉がわかるようになっていた。
解凍しない、できない思い出を
握りしめたつもりになったまま、
その、握りしめたと思い込んでいる手を握りしめて、私は今でも
たまに、おいおい泣く。
彼にあいたい、と思うたび、
彼にあいたいと声に出すたび、
時おり、それは、
冷凍のミックスベジタブルを
もう、捨て去って新しいものに
塗り替えてしまうことなのだと
わかっていて、
だから、会うために強行突破を
することなく、
ただ逢いたい、を続けているだけの我。
ありがとうございます😊サポートしていただいたお金は、勉強のための書籍費、「教育から社会を変える」を実現するための資金に使わせていただきます。