繰り返される命の鼓動と選択
5歳、女児。心肺停止。
その情報が入ったのは、
ある日の日付が変わる頃だった。
救急車が近くなってくる街の音はいつものことで、その日もいつもと同じように対応すればいいと思っていた。
ある一つの疑念を抱くまでは。
異変
その子の両親は自宅で我が子の異変に気付き、救急要請をした。そして救急隊員が到着するまで、指示に従って心臓マッサージを開始した。
女児の心臓が止まり脳への血流が途絶えてから、すでに40分経過していた。
救急隊接触時、呼名反応はなかった。
意識がない。
両親は、どんな思いで我が子の心臓マッサージを行なっていたのだろう。
切ない思いが一瞬よぎった。
( 集中 )
病院に運ばれてきてから全力で救命処置と検査を開始し「激症型心筋炎」だと推測し始めた。
ただひとつ。
両親に経過を尋ねていた際に、
次第に自分の顔が青ざめていくのがわかった。
まずい。
新型コロナウイルス感染症の可能性がある。
重症すぎると逆に見えずらいこのウイルス。
白なのか、黒なのか。
心の中に、さざなみが立ち始めた。
サージカルマスクを着用していたが、
自分たちは完全に晒されていた。
もちろん、救急隊も、その子の両親も。
そこから関係各所に連絡を入れ、
N95マスクに感染防護服を着用しながら救命処置を行なった。
PCR検査結果はすぐには出ない。
気が気ではなかった。
もし陽性なら、、 どっちだ、、
考えないように考えないようにと思っていても、落ち着かなかった。
落ち着けなかった、とても。
鼓動
懸命の救命処置に応えてくれた女児の止まっていた心臓は、再び動き始めた。
止まっていた時を取り戻すかのように。
それから5歳の女児の体には、たくさんの機器が装着された。病院で準備できる、ほぼ全ての種類の維持装置だ。そうしなければ、その両親のたった一人の子供の命を繋ぐことはできなかった。
まだまだこれからの人生。
生きなきゃダメだ。
この命が絶えないよう、祈った。
そんな我が子の姿を見て、
父親は冷静に、母親は泣き崩れた。
自分たちは「待つ」ことを知っている。
両親が事実を受け入れられるまで、
それが今日じゃなくても、ひたすら待つ。
命の選択、それを支えるのが仕事だ。
その日の夕方近く、PCR検査結果が出た。
明暗
結果、陰性。
明暗が分かれた。
まだ初回の検査であったが、
ひとつ、ほっとした。
迷いや葛藤、不安を抱え、そして構えていた自分たちの心は、次第に晴れていった。
ただ、女児が「超重症」であることには、
変わりなかった。
選択
医療現場は、いつも選択の毎日だ。
助けることだけが医療じゃない。
静かに看取るのもまた、医療だと思う。
そしてそれは患者だけじゃなく、
命を晒されている自分たち自身のことも選択していかなければならない。
人の命はたった一つ。
使い回せるものでもなければ、
重版できるものでもない。
ただどんなに傷んでも、
その命に余力があれば、再生することができる。
生きることは当たり前のことではない。
選択、人はそれを繰り返して生きていく。