見出し画像

幸せの青い鳥

湿気がうずくまる誰もいないこの休憩室で、
ボクは椅子に浅く座って後ろにのけ反り、
天井を仰いで深くため息をついた。

わずかなその時間も束の間、
何か飲んで落ち着こうと思った。

コロナ対応スタッフ専用の冷蔵庫の中は、
エナジードリンクで埋め尽くされていた。

「MONSTER」だらけだ。

疲れ切ったこの体には、
逆に「MONSTER」は受け付けず、
ボクは緑茶を手にとった。


自分たちの中で、新型コロナウイルス感染者が減っているという感覚は、全くなかった。

陰圧がかかった感染症の隔離部屋で
長時間N95マスクをしていると、
次第に頭が痛くなってくる。

でも一度その部屋に入った日は、
ボクたちはそこで寝ないといけない。

ほとんど飲食もせず。

休憩室も別だ。


小学生の頃から陸上を始めて、
気付いたらがむしゃらに走っていた
あの頃。

走りやすいのは暖かい季節ではなく、
寒さが身に凍みる季節で、
こっそり自主トレしていたあの頃を、

どこか懐かしく感じる。

今では、空調完備の建物内で働いている身にとっては、湿気を含んだ外気でさえも心地よかったりする。

それは仕事に明け暮れている呆けた脳も、
落ち着かない心も、
同様に暖かく、そして冷ましてくれる。

作られた環境よりも、自然を愛した。

ボクは、もぐらになってしまった。


ブルーインパルスが東京のソラを彩ったあの日でさえ、ボクたちは病院の外に出ることはできなかった。

なんでだろう。
なんで、患者は減らないのだろう。

斬っても斬ってもそいつは向かってくる。
ボクたちは所謂コロナファイターと化した。

そもそも新型コロナウイルスは、
呼吸器内科の分類に位置する疾患だが、
呼吸器内科の専門医だけでは回らないのが今の世界だ。

ボクたちはみんなで闘っている。

心から信頼できる仲間がいるから、
ボクは患者に向かえているのだろうと思う。

願うのはコロナの終息ではなく、
人々の健康だ。
コロナが終息したからといって、
「感染症」の恐怖は永年の問題となるからだ。


ボクたちは自由だった。
日本も世界も自由だった。

でもあの頃を「自由」とするならば、
それを「幸せ」だと置き換えるのであれば、
ボクは過去にタイムスリップしたいとは
思わない。

確かに楽しいことも、幸せなこともあった。

でも今が不自由だとは思わない。
楽しむ心は、自分の中にあるからだ。

幸せの青い鳥は、自分の中にいる。

その価値観は、人それぞれだ。

ボクは未来に向かいたい。


「幸せが逃げるよ」と言われながらつくため息も、それが幸せになるためのものだったら、
ボクはそのため息でさえも愛していきたいと思う。


気付いたらがむしゃらに走っていたあの頃。

ボクは今も、がむしゃらに走っている。

己の心に宿る、幸せの青い鳥と共に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?