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【前編】海外移住がしたい!と思った理由

5年以内に海外移住をしたい!と思っている2児の母、パタパタです。

今回の記事から、「海外で子育てしたいな〜」とざっくりと思っていた時代から、具体的に行動するまでのプロセスを綴っていこうと思います。

前編では、そもそもなぜ海外の教育に、海外移住に興味を持ったのかの、私の原点の部分を綴りたいと思います。

今後の子育てについて迷っていたりする方にとって、「へ〜そんな考え方もあるんだ〜」とちょっとしたインプットになったら嬉しいです。

そもそもなぜ海外移住を考えるようになったのか。


私のこれまでの経歴

私がなぜそもそも「海外での子育てが魅力」と感じたのか。

本題に移る前に、私の経歴を紹介させてください。

・日本、東京都で誕生
・1歳〜4歳まで父の仕事関係でアメリカへ(記憶は朧げ…)
・幼稚園年少から日本に戻り、小学校4年生まで千葉県で育つ。この間に弟と妹ができる。
・小学校4年生〜6年生まで再び父の仕事のためアメリカへ(ターニングポイント!)
・都内の中高一貫校へ入学と同時に日本へ帰国
・日本で大学受験をし、都内女子大へ進学。ここで教育学と出会う
・一般的な就職活動をし、ベビー用品の専門商社に入社。
・約4年後に転職をし、現在勤めている会社でバイヤー職として奮闘中。
・3歳と1歳の息子たちの母

こんな感じ…!

この経歴の中で一番大きく影響を与えてくれたのが、小学4年生〜6年生のアメリカ生活でした。

それまでは、人前に出るととにかく緊張して涙がポロポロ出てきてしまうくらいのシャイガール。
長女ということもあり、自分の気持ちを全面に出すというよりは我慢して溜め込むタイプで、周りの人に気づいてもらうまで、心の内を話せない性格でした。

そんな中、父のアメリカ駐在に家族みんなでついていくことに。

わたしの母も帰国子女だったこともあり、日本人学校に通うという選択肢はなく、現地校に通うことに。
シャイでか弱い女の子にとって、現地校はいい意味で苦しくもあり楽しくもあり、毎日が衝撃的な場所でした。

具体的なアメリカと日本の教育の違い

(決して日本の教育を否定しているわけではない、という前提で読んでいただけると嬉しいです。)

現地校に通っていた経験もあって、
日本とアメリカの教育の違いを子どもながらに感じていました。

小4でも感じられる違いがありました

とにかくアメリカでは、どんな場面でも自分の意見を求められるので、最初のころは「自分の意見を持つこと」の難しさも感じていましたし、またそれを表現する苦しさもありました。

でも学校に行けば都度、先生や友達たちが自分の意見を表現する方法も教えてくれるし、促してくれるし、何より表現した際にはしっかりと受け止めてくれるので、すぐにその環境に慣れることができた気がしています。

自分の意見を持つことで、その場にしっかりと参加できている感覚もあり、今思うとそれが自己の確立につながる第一歩だったなと思います。

小学校4年生という、ある程度日本語は確立していて、すでに社会にも適合できている状態で行けたのが大きいと思うのですが、私自身、当時から日本の学校より、アメリカの学校の方が「楽しく学ぶ」ことができるな〜と思っていました。

(より具体的な経験談は、また別の記事で綴る予定です!)

大学で感じた、日本の公教育の違和感

そんな小学校時代を経て、私立の中高一貫校に帰国子女枠から入学。そして戦争のような大学の一般受験を経験し、都内の女子大の教育学科に入学。

大学に入ったのはいいものの、将来何になるのかはさらさら考えていなくて(何がしたいとかではなく、ただ「偏差値の高い大学に入る」が目的で受験勉強をしていて失敗したパターンです。苦笑)
なんとなく「子どもが好きだから〜」というテンションで教育学部に入りました。

「教育学と言えば教員免許?」くらいの感覚で、教員免許取得コースも選択しながら、乳幼児期〜青年期の子どもの発達から、お堅い日本の教育概要まで幅広く学んでいました。

ところが、、、

教員免許取得のための授業や実際の教育現場を見れば見るほど、日本の教育への疑問や違和感が湧く一方…。

・何で子どもたちの前に立って、先生対子どもたちのような構図で授業をしなきゃいけないんだ?もっとフラットに授業をしたいぞ?

・子どもたちが受け身になるような授業しかないじゃん…もっと子どもたちが何を思っているのかを表現する機会を作りたい。

・そもそも生徒と先生って対等じゃないんだな…先生がこうしなさい、ああしなさいと指示ばっかりしている…

何より、大人が子どもに「教えてあげる」の感覚がとにかくむず痒くなってしまったのです。
「◯◯してあげる」の時点で大人である自分が、子どもたちより上にいるいわゆるしっかりとした上下関係下にいると言いますか。

ある程度の上下関係はあれど、基本生徒も先生もフラットな関係値で入れるアメリカの小学校で過ごしていたからか、どうしても対等でいられない教育現場に違和感を感じていました。

オルタナティブ教育と出会う

そんな違和感を教育学部の友人たちや先生方と話す中で「パタパタさんはオルタナティブ教育が合っていそうだね〜」と教えてくれました。

オルタナティブ教育は、ふつうの学校とはちがう、新しい学び方のこと。

テストの点数や決まったカリキュラムにしばられず、自分の興味やペースに合わせて学べるのが特徴です。たとえば、体験を通じて学ぶ学校や、自然の中でのびのびと勉強できる学校もあったり。

モンテッソーリ教育やシュタイナー教育、フリースクールなども、そのひとつです。

…ざっくりな説明ですが!

みんなが同じことをするんじゃなくて、一人ひとりに合ったやり方で学べる。そう、本来それが真の教育なんじゃないか!

と、学べば学ぶほど感じたのを今でも覚えています。

そこからは世界一幸福度の高い北欧の教育について深く学んだり、実際にアメリカのNYとフロリダ、そしてタイの学校視察などに行ったりもしました。

行けば行くほど、子どもをより尊重する海外の教育が魅力的に感じていました。(もちろん日本も子どもを尊重している部分も大いにあると思っています)

教員免許取得をやめた決定的な出来事

そんな感じで日本と海外の教育を同時並行で学んでいたのですが、ある授業で「小学校3年生向けの国語の授業を考える」という回に出席した時のこと。

学生それぞれが約40分くらいの授業の内容を考え、数人で1組になってグループ内で発表。気になった授業を1つピックアップして実際にやってみる、というような内容でした。

そこで私は実際に海外の学校視察で行われていて「これいいな!」と思ったライティングの授業を私なりにアレンジしたものを発表しました。

もっといろんな条件はあるのですが、大体こんな感じ

この授業を通して子どもたちに、
・ストーリーを生み出す「創造力と思考力」
・端的にまとめる「まとめ力」
・自分で考えたものを表現する「表現力」
を鍛えてほしいなと思っていました。

この授業の次に、実際に教科書に戻って今読んでいる題材について、
・どのようなテーマなのか
・何が起こっているのか
・どういう結末
・それを読んで自分はどう思ったか(ここを重視)
を子どもたちと一緒に考え、
「それらをまとめたものが読書感想文につながる」ということを体感できる、授業計画を作りました。

こんな授業をしたところ、「作文って苦痛だったけどこういう流れがあるとどうやって書けばいいかわかるし、楽しい!面白い!」と好評で。

巡り巡って、なんとクラスで1位を取ることができたのです。(マジでびっくりw)

そこで感じたのは、「授業とは黒板の前に先生が立って、生徒は授業を受け身で聞く」という固定概念が皆の中にあって、発想の転換がしづらい教育現場なんだなということ。
先生の質が良くても、そうさせない・やりたいと思っていてもできない環境やシステムが日本にはあるのだなと痛感した出来事でした。

やっぱり海外の教育は授業を通して自己表現をすることが多いがために、子どもたちそれぞれが光って、魅力的にうつる。

そんな気持ちを持っているのに、毎日生徒たちの前に立てるのか?
いや、きっと私は日本で先生になることはない!と思って、その日に潔く教員免許取得コースから抜けることにしました。
(こんなカッコよく言っていますが、当時入っていたダンスサークルの方がかなり忙しくそちらに専念したかったのもありますw)

就職活動をする中で求められる「自己認識力」

教員免許取得も辞めたし、サークルも引退するし、さぁ就職活動そろそろ本格始動するか…

と思った矢先に壁にぶち当たったのは「自己分析」

なんだ「自己分析」って?
私含め周りの多くの友達がここに大きな壁を感じていました。

今まではどこか「みんなと同じ」な空気で学んできたし、自分がどうしたいかというより受動的な学びが多かったのに、急に「あなたはどんな人間なの?何ができるの?」と言われても困る…。

私も日本に帰ってきて、目の前の楽しいことばかりに目を向けていたので「自分とは何か?」と問われた時にすぐにパッと出てこない頭になっていました。
何も思い浮かばないので「私って大した人間じゃないんだな」と悲しくなったのを覚えています。

それに比べてアメリカの友達たちは「私は◯◯が得意で、△△が好きだから、これをやりたいと思っているんだ〜」といつでもすぐに答えられる姿を見て、そうか〜すごいな〜と思っていました。

そこから必死に自分の過去と向き合って「あぁそうだった、そうだった」を繰り返しながら自分と向き合いました。

この経験もあって、やっぱり海外の主体的な学び、自己認識力って大事なんだなと痛感しました。

社会人になってから気づく「フラットな目線」

プチ就職氷河期を乗り越え、無事就職。新卒として入社したのは、海外育児用品の専門商社。

海外の育児用品ブランドの買い付けから、その販売・販促方法を練って営業本部に渡す役割を担う部署に配属。

あるとき、担当していたブランドから「発達障害のある子ども向けのおもちゃ」のラインが発売されることに。

そこで発達障害支援を行っている会社さまと、何度も商談をさせていただく機会がありました。

その時に、こう言ってくれました。

「パタパタさんって、本当にフラット=対等な目線で「人」と接しますよね、障害があろうがなかろうが、子どもか大人かなんて、そんなの関係ない。その差を感じさせない行動や発言が本当に素晴らしいと思います。しかも、意識してやっていないのがさらにすごいこと。」

私は本当に意識していなかったので、その言葉をいただいて嬉しいよりも、ハッ!とした方が上回りました。

これは確実に、アメリカ滞在時に発達障害のある子がクラス内に当たり前にいたり、そもそも自分がマイノリティーだった側(差別された経験はないけれど)の経験もあったからだなと思いました。

2児の母として、私が大事にしたい教育観

これらの自分の経験から、
・「意志力」「自立・自律力」がつく、主体的な学びができること
・「自己認知力」
をつけるための、自分と向き合う機会が多い環境
・多様性の中で過ごす
ことで身に付く、「受容力」「フラットな考え方」
これらを達成できるための、ある程度のアカデミックな視点

大きくこの4つのことを重視して、いつか自分に子どもができたら、こんな教育環境を整えてげたいと思っていました。

時はたーーーーくさん経ち、私もフルタイムワーカー・2児の母になりました。
長男は今年の4月から年少組になる年。

フルタイムで働いてはいるけれど、保育園のまま続投するか、教育面を考えて幼稚園の方がいいのか悩む日々。

自分の理想はあれど、現実は目の前の仕事・育児・家事で追われる毎日。

周りで駐在のため子どもを連れて海外にでたりする友人家族を見て「羨ましい」とも思っていました。

そんな中、今の職場の環境下を捨て、自分たちの意思で海外へ教育移住する友人がいて。
その友人がきっかけで、私たちの海外移住に向けての行動がスタートするのです。

次回の記事でそのストーリーを綴っていこうと思います。

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