コーヒーから学ぶ、「学び始め」のコツ
■コーヒーの味を決める3大要素
皆さんは、コーヒーの味を決める3大要素、知っていますか?
■生豆の選定
■焙煎技術
■抽出技術
上記が3大要素と言われています。
では、この3大要素の中で、味を決める割合はどうでしょうか。
上記の円グラフのように、生豆の選定が6割、焙煎技術は3割、そして抽出技術は1割となります。
この割合だけで考えてしまうと、「抽出技術を高めても意味ないじゃん」と思うのではないでしょうか。
確かに、どんなに抽出技術を高めても、劣化した生豆を仕入れていたら美味しいコーヒーはできません。
同様に、どんなに抽出技術を高めても、浅すぎる、または深すぎる焙煎の豆では美味しく淹れることはできません。
では、少し視点を変えて、「自由度」を考えてみましょう。つまり、これら3大要素の中で、自分でコントロールできる割合を考えてみます。
3大要素の自由度の割合、それは、
抽出技術>焙煎技術>生豆の選定
となります。美味しさを決める割合の真逆です。
ぼくたち日本人は気候の関係でコーヒーチェリー(生豆)を栽培することは難しいですし、焙煎だって色々な設定方法や技術はあるものの、マシンの性能の多く依存します。
抽出技術に関しては、特にドリップコーヒーで考えると、どのようなドリッパーを選ぶか(どのドリッパーも安価で買えます)、豆の挽き目はどうするか、お湯の温度は、、、、と、キリがないほどに自由度が高いです。
なんとなく、ピンときた方もいらっしゃるかもしれなせん。
自由度が高いということは、その分楽しめる要素が多いということでもあります。
また、抽出技術をドリップコーヒーに限っても、ワールド ブリューワーズ カップという世界大会があるほど、技術の奥深さや(味を決める割合は1割だとしても)味の変化もあります。
自由度の高さ(楽しさ)と美味しさとの関係。
両者は必ずしも直結はしませんが、一言では表現しにくい、複雑な関係がありそうです。
■キャリアに置き換えると
このことは、ぼくたちのキャリアにおいても重要な示唆を与えてくれるように思います。
理学療法士の業界では、当然治療技術というのは重要視されます。
キャリアの定義を確認しておきますと、著作家の山口周さんは「時間資本→人的資本→社会資本→金融資本という形で、投資を連鎖させていく一種のゲーム」と考えることができると述べています。
治療技術というのは人的資本ですので、キャリアを考えたときに治療技術だけ高めていては十分な結果に至りません。
そして割合で考えてみると、人的資本はある程度もっているという前提にはなりますが、人的資本より社会資本の重要度の方が高いといえます。
では、楽しさはどうか。
治療技術を高めることは、日々の仕事をかなり楽しくしてくれます。
それに、治療(評価)方法は、めっちゃ色々あって、自由度が高いのです。
話をコーヒーに戻しましょう。
少なくとも日本において、コーヒーラバーはいきなり焙煎から始めるのではなく、まずは抽出の魅力に魅せられて、という方が多いです。
つまり、自由度が高く、「楽しい」から抽出方法を学び始めて、もっと美味しさを求めて焙煎へと進んでいく。
ここから言えるのは、学び始めは自由度が高く、「楽しい」ことが大事なのではないか、ということです。
この結論については、「当たり前じゃん」と思う方も多いのではないでしょうか。
確かに、コーヒーを始めとした趣味の領域ではそうでしょう。
でも、キャリアにおいてはどうか。
再度、話を理学療法業界に戻します。
理学療法の「学び始め」は、治療(評価)技術です。
そして、こうした技術には色々な方法がある、つまり自由度が高いことは既に述べました。
ですが、実際の仕事の場面において、その自由度、狭めちゃってないですか?
これがぼくの言いたいことです。
職場によって、「この研修会は受けた方が良い」とか、「理学療法士として生き残るために○○は学ばなくてはならない」とか。
そんな話がよくあると思います。
「自由度を狭める言葉」
これは、「呪い」の定義です。
「学び始め」からみんなを呪いにかけているようでは、楽しいはずがない。
「学び始め」を楽しめないから、次のステージにも行けない。
現在の理学療法業界、、、に限らず多くの仕事は、こうした悪循環に陥っているのではないか、ぼくはそう感じています。
「楽しんで学べた方がいいのは分かってる。けど楽しめないんだ。」
そんな声も多いと思います。
そんな状況にあるときは、他者からかけられた、もしくは自分自身にかけた「呪い」、つまり自由度を狭める自分の思考様式に気づくことが重要なのではないでしょうか。