コーヒー日記③
ニーチェと自分を重ねる
『ニーチェ入門』を読了してから、ニーチェと自分の性格を重ねて考えることがあります。
重ねるといっても、私にはもちろんニーチェのような思想は描けないし、たぶん発狂することなしに人生を終えるでしょう。
ただ、極度の人見知りであったり、乱高下する精神状態。そんなことに思いをはせると、ニーチェだってきっと、私と同じ「繊細な人間」だったんだろうな、と思います。
ニーチェの主張には、「魂の叫び」を感じます。
その燃料となったのが、上記のような性格だと思うのですが、彼もきっと、「真の理解者」を心から求めていたのではないでしょうか。
※もちろんニーチェにも、ルー・ザロメやヴァーグナーなど、理解者はいました。けれど、生涯を通じての「真の理解者」ではなかったと思います。
私がこうして日々平穏に暮らしているのも、「真の理解者」が身近にいるからです。このお陰で、発狂することなく危うい動的平衡を保っています。
ニーチェの生涯は、私にそのような内省を与えてくれました。
コーヒーノスタルジー
学生時代、よく母に言われていた言葉。
コーヒーを飲んで一息ついていると、ふと、この言葉を思い出します。
なんとく聞き流していたこの言葉。その通り実行していたかは定かではありません。
でも、何故だか最近、ふと思い立って、職場で落ちていたゴミを拾ってみたりしています。
母の言葉って、やっぱり偉大ですね。
サウナ思考とコーヒー思考
サウナで外気浴をしていると、色々な物事に対して、「まあ、どうにかなるか」と一時的に楽観思考なります。
いわゆる、「ととのう」ですが、コーヒーを飲んでいるときも、近い状態になっているのではないか、と密かに思っています。
ととのうメカニズムの詳細は、『医者が教えるサウナの教科書――ビジネスエリートはなぜ脳と体をサウナでととのえるのか?』に詳しいです。
簡単にいえば、副交感神経が高まりつつ、交感神経も高まっている状態、なんだと思います。
コーヒーの香りはリラックス効果、つまり副交感神経が高まる作用があるといわれています。そして、飲むとカフェインの作用で交感神経が高まる。
ちなみに私は最近、朝サウナしてからのドリップコーヒーにハマっています。
まさに、「コーヒーでととのう」みたいな感覚が得られます。
ととのっているときの楽観的思考。つまり、サウナ思考とコーヒー思考。
人間は本来ネガティブ思考であるといわれていますし、私のように人よりかなりネガティブ思考な人間には、思考のリセットとして習慣にしておくといいのかもしれません。
文庫本宣言
文庫本宣言。
福岡伸一氏が著書の中で、電子書籍より紙の本が好きであることを「」と述べており、これのオマージュです。
文庫本は、親しみやすく、読みやすい。これはなんとなくイメージできるかもしれません。
そして、文庫本は、コーヒーの合うサイズ、フォルム感だと思うのです。
そして文庫本がもつ、温かみ。お気に入りのブックカバーをすれば、より温かみが増します。
文庫本を片手に、スローなコーヒーライフを楽しみましょう。
退屈の先に
単調な生活を送っていると、当然ですが退屈を感じるものです。
旧ソ連のシベリアあたりでは、かつて「最もきつい拷問」として、単純作業を繰り返すことが課せられていたようです。
それは、囚人に一日中、スコップで大きな穴を掘らせ、次の日にはその穴を埋めさせる、そしてまた次の日には穴を掘らせる、これをずっと繰り返させるものだったそう。
1週間もすると、どんな屈強な囚人も音を上げ、発狂する者も少なくなかったといいます。
ですので、なんとく退屈だなと思ったときは、まずは行動を「小さく」変化させることが大切だと思います。
「小さく」が大切です。いきなり大きな変化を望むと、それはそれで「拷問」ですから。
コーヒーを飲む。そんな些細で単純な活動でも、様々な変化を起こすことができます。
豆の種類を変える、淹れ方を変える、飲むカップを変える、、、、。
そんな変化で良いと思います。月並みですが、「小さな変化が大きな変化を生む」です。
さて、今日はどんなコーヒーを淹れましょうか。