#171 タブロイド思考に陥るな
僕はいつから読書をするようになったのだろう。働き始めの頃、2000円が相場の教育書は「高い」と思っていて手が出なかった。その頃読んでいた漫画や文庫小説と比較していたのだろう。他の棚の書籍と見比べれば、それほど高くもないし、何より数千円で、どこでも、自分のペースで学びを得られる効率の良さは最高だと思っている。
さて、感覚で仕事をしてきた僕も、読書によってそれなりに知識というものが増えてきた。自分にとっては当たり前にやってきたことが、本の中で「指導のコツ」として紹介されていると「よしよし」と得意気になり、知らないことに対しては「ふむふむ」と唸っている。
知識が増えてくると、判断が早くなる。「これはあのパターンだな。」「この子は、あのタイプだな。」といった具体だ。一体どうしたらいいのだろう、なんでこうなるんだろう、と困ってしまって動けないよりはいい。しかし、自分のこの判断に危うさを感じ始めている。
「もしかしてタブロイド思考に陥っていないか?」
複雑なものごとを表面的に単純化・類型化して把握する思考のことをタブロイド思考と呼ぶ。タブロイド思考では、本来は簡単に判断できないことも、固定観念や思い込みにより判断してしまう。
さて、このタブロイド思考のどこに危うさが潜んでいるのだろうか。答えはシンプルだ。本来、複雑な存在である人間を、単純化し枠にはめ込んでいる点だ。
本来、複雑な要因によって思考したり行動したりしている子どもたちを、タブロイド思考では、単純化し、自分の固定観念や思い込みにより、断定してしまう。最近、増えてきたのは「あの子は発達障害だから。」という言葉だ。もしかしたら、家庭環境やこれまでの指導により立ち歩きが起きているかもしれないのに、一言「多動」と断定してしまう。根拠は、数少ない自分の経験と思い込みだ。これでは、いつまで経っても本来の要因にたどり着くことはない。効果のない指導を繰り返すことになる。
では、タブロイド思考はやめるべきなのか。そうではない。まずは(仮)を設定するためにタブロイド思考を用いる。そして対処してみる。うまくいかない場合は、他の要因を考え、指導を工夫してみる。何事も使いどころが大事だ。
タブロイド思考に陥ると、思考することを止めてしまう。思考し続けることが大事だ。ただ「考える」だけではなく、「考え続ける」ことで、考える体力が身に付く。考えることをやめれば、そこで終わり。しかし、考え続ければ、思考は広く、深くなり、答えの精度を上げられる。児童理解のためには、「考え続ける」ことが大事なんだ。
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