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#292 観察を邪魔するもの

観察できない

日々、子どもと向き合う僕たちにとって大切な力があります。

それは観察力です。

子どもが何を考えているのか、どんな気持ちなのか、何をしているのか、何をしようとしているのか、などなど、子どもを目にしている間は、常に観察していると言っていいでしょう。
しかし、この観察がなかなかうまくできないのです。

観察とは?

いい観察とは、ある主体が、物事に対して仮説をもちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮説の更新を促す。
一方、悪い観察は、仮説と物事の状態に差がないと感じ、わかった状態になり、仮説の更新が止まる。

佐渡島庸平

僕らであれば、子どもの言動や感情に対して、仮説をもつことが大事になります。ここは、皆さん、意識、無意識は別として、やっていると思います。

観察を邪魔するもの

ここで、問題が起きます。
頭の中で、勝手に、「きっと、○○って思っているんだろう。」と自分の仮説を目の前の子どもに当てはめてしまうのです。当てはめることは大事です。時間に限りのある中、自分の経験から瞬時に判断することは有効ですから。
問題は、その後です。「分かった状態になり、仮説を更新しない」ことが問題です。つまり、「決めつけてしまう」ことが多々あります。

「常識とは、あなたが18歳までに身につけた偏見の塊である」(アインシュタイン)という言葉があります。僕らが「常識」だと思っていることが、その子に対する「偏見」になっているかもしれません。

経験ありませんか?
頭の中では、○○だろうと思って、強く指導してした。一応、話を聞いてみると、自分の仮説とは違っていて、子どもに対して申し訳ない気持ちになる。
謝れればまだいいです。都合が悪くなり、ちゃんと説明しない子どもをさらに指導しようもんなら、子どもからの信頼は失います。

仮説を疑い、子どもの面白さを味わう

既に知っていることに当てはめて観るのではなく、自分の仮説を疑いながら子どもを観る。
僕は自分の仮説が間違っていると嬉しくなります。
子どもって本当におもしろいなあ、と思います。
自分の知見が広がるようでうれしくなります。
問題行動も良い行動も、授業で見せる様々な表情も、全て子どもの魅力ですよね。
 
 

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