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日本が日本であり続けてきている本質的なスゴサを考えると、不思議な感覚が芽生えた結果、、、
あけましておめでとうとございます。雅(みやび)です。
ふだんはそんなコト、考えたことがなくっても元日くらいは考えたりするコトとか疑問に思うことがあるので、noteしておきます。笑
日本が日本であり続けてきている、ということ
それは、日本が日本であり続けてきている本当の理由は何なのか、そしてそこには日本人独自の(他の国や宗教にはない)本質的なスゴサが潜んでいるのではないかということです。
日本は、八百万神(やおろずのかみ)の国と言ってますし、それは一般には多神教の一種と考えられています。しかし、代表的な多神教として思い浮かぶ古代ギリシアのオリンポスの神々やインドのヒンドゥー教の神々とは似ているようで異なっています。
八百万の神は、自然のあらゆるところに宿る神と考えられているので、具体的なカタチがなくてもよいし、あっても良い。なので、絶対的な神がこの世を創ったと考えているわけではないが、それも否定しない。神も仏も、ご先祖の霊も存在するし、守ってくれるし、守られている。
なんだか禅問答のような話になっているが、正にそういうことなのです。
多くの日本人がもっていると思われる共通の考え方は、キリスト教を始めとする一神教をベースとする西洋人の発想からしたら、理解し難い、割り切れない思想の持ち主たちのモノであり、理屈が通らず正に悪魔の所業と片付けたくなるのでしょうが、日本の本質的な考え方はそんなに単純ではないのである。
『おもてなし』も、そういう文脈で考える必要がある。日本のホスピタリティはチップに換算されるサービスとは異なるのです。
ジャパニーズ・スマイルを不気味に思う西洋人が多く存在するらしいが、同じ対応をされても不気味に思う日本人は少なく、それは、おもてなし、思いやり、人見知り、忖度の帰結に過ぎないと直ぐに理解できる。
日本人は言葉で表現しない、できないとか言われても、私たちは自分たちの能力に対して自虐する必要はなくて、言葉で表さないと伝わらない文化とはコミュニケーション・レベルが違うと誇ってもよいのでないかとすら思う。逆に、西洋人のコミュニケーション・レベルに合わせてあげるホスピタリティを持ってさしあげましょう!という優しさレベルで解釈すべき話じゃないかな。
陰謀論とか、自虐史観が大好きなヒトから見たら、不遜とか言われそうだけど、そんなに悪いはずもないし、そっちがそんなに立派な訳でもなくて、尻尾振る必要も、勝手に自己評価下げる必要もないと思うのです。逆に誇るくらいでいいんじゃないの?てな感じ。笑
島にラブレターを書いた、ひと
苅藻島(かるもじま)は和歌山県の無人島ですが、ここで若い頃修行した鎌倉前期の華厳宗の僧、明恵上人(みょうえしょうにん)はこの島へラブレターを書いたことで有名です。
引用元:無人島プロジェクト https://mujinto.jp/
島を恋人のように表現した文(ふみ)を書き、弟子に届けさせたそうです。弟子もタイヘンですね。
仏門の指導者も、根本には八百万の神の概念を共有してることが窺い知れるエピソードだと思います。
芥川龍之介の指摘がスルドかったという話
芥川龍之介は、著書『神々の微笑』のなかで
日本人論を展開してます。
日本人のスゴサを指して
“造り変える力”と表現しました。
以下の記事より引用
https://ameblo.jp/ararada/entry-11847454572.html
「…(日本人は)何人でも(キリスト教に)帰依するでしょう。
ただ帰依したと云う事だけならば、
この国の土人(日本人)は大部分悉達多(シッダールタ=釈迦)の教えに帰依しています。
しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
※上記の()は個人的注
※出典 青空文庫 小説「神神の微笑」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
この、造り変える力により、日本は日本であり続けています。
生まれて神社へお宮参り、七五三など、神道で子供の成長を祝うのに、キリスト教のクリスマスも祝い、結婚式に至っては、教会式・人前式・神前式・仏前式の4種類とりそろえ、亡くなっても、神式、仏式、キリスト教式が行われています。
これって一神教からしたら理解不能だろうけど、それもありだよね、な感覚を私たちは共有できていると思うのです。
インド発の仏教も、支那を経由した仏教も、日本に伝わってから、日本式仏教になってしまいます。決して無から有を発生させてる訳ではないのだけれど、オリジナルとは異なるトコロに着地してしまうのです。
この鷹揚さ、懐の深さこそが日本の文化(宗教だけでは説明しきれない、もっと包括的な概念としての“土着”の考え方)そのものなのではないか。
新年になって、そんなことを改めて考えたりします。
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