【エジプト王の呪いとは】呪いの正体は黒カビかもしれないぞ

呪いという現象はどこの国でもちょっと形式が違えどそういった概念が存在していて、死んだ後も生者を脅かそうとしている話はたくさんある。

強い恨みなどの強い感情を抱いて死ぬとその感情が何かの形になって、対象に害を加える。なにをいまさら、科学の時代にそんなわけはない、とン十年前からそうカウンターもされてきた。

動物は呪われて死んだことがないだろう。証明できないけれど、そういった亡骸に対して、襲われるとは全く思っていないだろう。

呪いの類いは人の想像力から生まれたのだろう。言葉は人の思いを形づけるし、また縛ることもある。生者は何か不幸になると死んだ人間に何かされたと思うのは想像力がそうさせる。

結局のところ、何か理解できないことが起きたら、何かわかりやすい理由に飛びつくのが人間の心理なのだから。


1923年4月にカーナーヴォン伯爵ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバートは、古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの王墓発掘の資金提供者として知られており、イギリスの貴族で考古学者でもあり、政治家である。

ジョージはカーナーヴォン伯爵家の財産から、発掘調査の資金援助を行い、ついにツタンカーメンの墳墓を開くことになる。それから5ヶ月後、カイロのホテルで死亡しているのが発見された。

56歳という若さで死亡した貴族に世間はツタンカーメンの呪い、ミイラの呪いという噂が広まり、世間を騒がせることになる。

ただ、実際は死の一ヶ月前にアスワンで静養を取っていたところ、蚊に刺されてしまった頬の腫れ傷をひげそりの時に傷つけてしまったのがよくなかったらしい。傷はすぐに処置したものの、すぐに発熱を起こし、数日のうちに亡くなったという。死因は虫刺されによる丹毒を患い、出血の際に敗血症になった結果、肺炎を引き起こしたとされている。丹毒とは溶連菌による皮膚の化膿性炎症のこと。

ジョージの死因は感染症による肺炎とされているが、当時の男性の平均寿命からするとそれほど若くない歳であるという。しかし、墓に存在している菌類との関連も指摘されている。

かつてLancet誌でジョージが亡くなったときに墓に住むアスペルギルスに感染していたかもしれないという説があり、議論されていた。アスペルギルスの芽胞は感染者の肺の中で休眠した後、活性化することがあるという。

つまり、ジョージが1922年に初めて墓に入ったとき、5ヶ月症状がなかったが当時の新聞には「炎症が鼻腔と目に影響する痛み」によって苦しんでいたと報じていた。

この記述からするに眼窩への局所的な進展をともなう侵襲性アスペルギルス副鼻腔炎と一致しているとのこと。ただ、目が痛くなるだけで肺炎になる可能性は極めて低いという。

というのも、アスペルギルス菌は黒カビの一種でどこにでもいる。

のちにツタンカーメンの王墓発掘から、ブルース・インガム卿がミイラの手で作ったペーパーウェイトの贈り物を受け取った後、家が全焼したり、エジプトのアリ・カメル・ファミー・ベイ王子も妻に射殺されたとのこと。こじつけに過ぎるかもしれないが、何か見えないものが存在しているのかも。

とはいえ結局のところ、呪いは存在しないのではと言う落ち着いてしまうわけで、ダメ押しな話として、直接発掘業務をしていた考古学者のハワード・カーターは60歳過ぎても生き続けていた。

エジプトの古墳がある時代から、ずっと残っていた細菌やウィルスが残っていた可能性は十分にあるわけで、長い休眠期間で発芽していないという可能性もなくはない。妄想の域だけれど、ツタンカーメンのミイラの中に潜んでいるかもと考えてしまったけれど、長期乾燥しているあの場所では、まず生きているわけがないね。ふつうはね。ふつうは。


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