【ポンペイにピザの原型か?】ポンペイ遺跡にピザみたいな壁画が見つかったぞ

ポンペイのレジオ9世で新たに発見された静物画が、考古学界と芸術愛好家の注目を集めています。この絵は2000年前のものであり、見た目はピザに似ていますが、トマトやモッツァレラといったピザの特徴的な材料が欠けているため、明らかにピザではないとされています。それにもかかわらず、この絵は最近の研究でポンペイのレギオIXの第10イヌーラの新しい発掘の一部として現れ、古代ポンペイの家の壁に描かれていたものが、現代料理の遠い祖先である可能性が浮上しています。この発見によって、古代の食文化や料理の歴史に対する新たな理解が生まれるかもしれません。

ポンペイ考古学公園の考古学者によると、静物画には銀のトレイの上に置かれたワインカップの隣に、ザクロ、おそらくナツメヤシと特定できる果物、スパイス、そして黄土色の点で示されたペストの一種(ラテン語でモレトゥム)が描かれています。さらに、同じトレイにはデーツとザクロの隣にドライフルーツと黄色いイチゴの花輪があると推測されています。これらのイメージのジャンルは、古代ではクセニアとして知られ、ギリシャの伝統に由来しています。これらの表現は、古代ポンペイの家の壁や神聖な場所で見つかることが多く、客人に対する「もてなしの贈り物」として描かれていたとされています。このようなフレスコ画の存在により、古代の食事文化や人々の交流の様子を窺い知ることができます。

ポンペイは、遺跡としては驚異的な保存状態で知られています。フレスコ画はヴェスヴィオ火山の噴火で町が埋もれた紀元前79年に瞬時に固定されたものであり、それによって当時の生活や文化を忠実に伝えています。また、この発見がポンペイ大プロジェクトの一環であることも興味深い点です。遺産の保存と発展は重要なテーマであり、新たな発掘や研究によって遺跡の知識が豊かになり、世界に対してその価値を示すことができます。

この発掘では、ポンペイのレジオ9世の第10イヌーラの家の吹き抜けからフレスコ画が発見されました。この家はパン屋とつながっており、部分的には19世紀に既に発掘が行われたものの、新たな発見によってその重要性が再認識されています。一部の犠牲者の骸骨も発見され、この場所が当時の日常生活と密接に関連していたことを物語っています。

ポンペイの発掘作業はまだ進行中であり、特に未発掘のエリアにはさらなる発見が期待されています。遺跡の大規模な調査は、ポンペイの過去を解明し、その重要性を後世に伝えるうえで欠かせないものです。これからの研究によって、ポンペイがもたらす歴史的・文化的価値が一層高まることでしょう。

ChatGPTより作成


ポンペイというのは知る人ぞ知る、イタリアの古代都市で西暦79年にヴェスヴィオ山が大噴火を起こして、火砕流によって地中に埋もれてしまった。現在は遺跡となって発掘作業が今も行われていて、ユネスコの世界遺産に登録されている。

火砕流が一気に埋め尽くしてしまっていたので、状態がかなりいい状態で出土するので、その当時の暮らし方などがとてもよくわかるそうで。

古代のファーストフード店がほぼ完全な状態で見つかったりする。遺跡からは大きな市場や、製粉所もアリ、飲料を提供したバーもあった。
損だけいっぱい貴重なものが出土するので、それを持ち帰った人もいた。もちろんそれは盗掘である。

呪いというのはにわかに信じがたいが、持ち帰ってしまった人が家族が経済困難に陥ったり、病気になってしまったりと、悲惨なことが続いてしまうという話が。

さて、イタリアで言うところのピザはピッツアと呼ぶのが正しい発音だとどっかできいたことがある。アメリカのそれはピザでいいらしい。日本でよく食されているのはピザだろう。

イタリアからしたら、ピッツアは国民的主食だろう。ポンペイがあった時代から、ピッツアの祖先が存在していたのか。絵画を見る限りだと、耳の大きい方のようだ。薄いクリスピーもおいしいけれど、主食で食べるなら、これくらいが食べがいがある。

これはピッツアでは無いとされているのは、モッツァレラチーズがない、トマトソースが無いこと。ポンペイに住んでいた人はまだ知らない食材だった。

なので、これはフォカッチャかもしれないという意見もある。フォカッチャはサイゼリヤに通っていれば知っている、あのふかふかのパン。でも、フォカッチャはあんまり食材載せないのでは。

もしかしたら、この家に住んでいた人の食べ方だったりするかも。この食べ方が伝わって、チーズとトマトが後に出会って、ピザとなった。かな?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?