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向き合えよ、人生に

ぼくぐらいの歳になってくると、転職がどうとかキャリアがどうとかいう話が増えてくる。"一度勤めた企業には最低でも3年いなさい"みたいな言説もそうでしょうし、若手としてただ上から案件をトスしてもらえる時期も終わりに近づいてきて"どう食い扶持を作るか"を考えねばらなない時期でもあるし、結婚がどうとか家庭がどうとかそういう話を現実的に考え始める時期でもあるんだと思う。ぼくは社会のことナメてるしそういうのに無縁でただただクネクネやっているだけだったのだけれど、流石にそろそろ自分なりに整理をしないとマズいかもなあと思って、考えを一旦書き出そうと思ってnoteを開いている。
そういう訳でぼくのスタンスを書いていくのだけれど……。
ぼくは自分の人生を労働に重ね合わせて開花させていくみたいなつもりは更々なくて、あくまでも"労働とか金稼ぎとかやってみたけどしょうもなかったよね"をある程度の説得力の上で言えるようになるために仕事をしているところがある。"出世"とか"社会的な成功"みたいなゲーム内のアチーブメントを一応手にしておいて、その上で"くだらなかったね"と言いたいだけ。
だったら、"しょうもなくない"、"くだらなくない"、ぼくの人生に於いて本当に追求したいものってなんなんだよという話であって、今のぼくは本当に追求したいものがないくせに、あたかも"人生には労働よりもっと大切なものがあるんでいいんですよ"みたいなツラしてクネクネと斜に構えた態度を取り続けているというのが現実だろうな。
ぼくのことをある程度知っている人なら、哲学とか?と切り返してくれるかも。実際、哲学にはすごく未練がある。大学院にいかない選択肢を取ったのは、ぼくが何かを研究したいというほどの自発的な熱量や問題意識を持っていなくて、ストイックでもなくて、なんか全然関係ないことばっかりやっていて、なんとなくでやっていける楽なサラリーマンに流れたから。今でもまだ未練がましく哲学の本を読んだりしているけれど、それを何か形にできるかと問われると何もできない。
追求したいことがないと思うと、ここから先の数十年、仕事をして生きて行かねばらないという現実が、本当に辛く、陰鬱で、無価値なもののように思える。小さい頃から"将来の夢"について書かされて、努力で何かを実現することを良しとする、"成功ポルノ"とでも言えるような話を浴びすぎたのかもしれない。成功に向けて努力して輝いている人は勿論素晴らしいのだが、淡々と何も追求せずに日々を暮らしていく自分が無価値になる訳ではないと、自分を説得しなければならない。
人が歳をとると歴史や伝記が好きになる理由が少しわかった気がする。もう少し本を読もうと思うし、やりたいことには向き合うし、お金は優先順位をつけてもう少し上手に使う。こんな性格なのに自暴自棄になり切れないのがぼくのいい所だから、バランス取りながら上手にやる。頑張りたいと思える何かがあればなあというのはたらればの話なんだから、淡々と、(はたから見たら)無価値に、方針だけは間違えずに生きていくことができたらいいんだけれど。

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