めちゃさむオフィス
お久しぶりです。そうたろうです。 今日は価値観の話をします。 価値観というと、価値観が合うとか合わないとか、いい価値観をしているとか、そういう用法が真っ先に思い浮かぶだろうと思います。 今回はその中身ではなく、価値というのが何者で、どこから来ていて、どう取り扱うべきだと考えているのかという「価値・観」と区切るような価値観の話がしたいんです。 だから、どちらかというと価値についてかもしれないです。価値の話をさせてください。 価値について、まず大前提として話したいのは、「価値が
何語だったかで、"言葉がとめどなく出てくる状態"、たしか病気だったと思うんだけど、を表す単語があるらしいという話を旧Twitterで見かけた。(随分前のことだから、既に手元にはないけれど)言葉の洪水だとか下痢だとかそういう感じの意味を繋げた単語らしく、旧Twitterやnoteにいる人間はこの言葉の感じがわかる人、とても多いんじゃないかと思う。 約束というのがとても苦手で、こんなことを言うと各所から怒られが発生すると思うんだけど、約束を守るっていうことがあんまりにも最上位の
ご無沙汰しております。そうたろうです。noteの何ヶ月連続更新みたいなやつが切れたら切れたで勿体なく思ってしまうので更新してます。 先月までののぼくは、料理をしたり、カフェに入って本を読んだり、キーボードを弾いたり、急に市民プールに行ったりという感じでしたが、今月はもう、ニンゲン、ニンゲン、ニンゲンって感じでした。 特定個人とのエピソードを過度に一般化してニンゲン全体の話みたいにするのは(ぼくはやりがちですが)あんまりしない方がいいかな〜とは思っているので、ほどほどに。ぼくが
ぼくぐらいの歳になってくると、転職がどうとかキャリアがどうとかいう話が増えてくる。"一度勤めた企業には最低でも3年いなさい"みたいな言説もそうでしょうし、若手としてただ上から案件をトスしてもらえる時期も終わりに近づいてきて"どう食い扶持を作るか"を考えねばらなない時期でもあるし、結婚がどうとか家庭がどうとかそういう話を現実的に考え始める時期でもあるんだと思う。ぼくは社会のことナメてるしそういうのに無縁でただただクネクネやっているだけだったのだけれど、流石にそろそろ自分なりに整
暦の上での節目を迎える度に考えがちなこと。10年とか15年とか5の倍数が気持ちよいのは、10進数を偶然にも採用しているからであって、別の数の数え方が浸透していた世界であれば別に25はキリの良い数字ではなかったと思う。でも現実としてこの世界は10進数でやってきていて、多くの人にとって5の倍数がキリの良い数として積み重なってきたという歴史があって、共感覚(?)とは少し違うかもだけど、もう5の倍数そのものが本当にキリがいいかはどうでもよくて、人がこれまで5の倍数でものを考えてきたと
みなさまお元気でしょうか。そうたろうです。最近は文章を書くにしても、誰に宛てた言葉なのかまるっきりわからない日々です。誰かに伝えたいことがあって書く言葉ではなくて、仕方がなく出てきてしまう言葉というか。ひとりぼっち惑星というアプリが5年か6年くらい前にすこし流行ったのを覚えている人がいればあれを思い出してほしいのですが、近ごろのぼくの言葉は全てあんな感じです。 そういうわけで、今回は自分の精神状態を記録するための備忘録みたいな感じです。その備忘録を、誰かに見て欲しいとか興味
お久しぶりです。あんまり世間話とかしないタイプではあるのですが、明日からマスクをつけるのが任意になる話がありますね。コロナ騒ぎが取りざたされて丸3年です。節目を意識させられると、あの頃何を考えていたっけとか、何をしていたっけというのを否が応でも思い出す羽目になって、その話を聞いてもらう相手もいなければ、Twitterでブツブツつぶやいたところで反応してくれる人もいなさそうなので、ここに供養します。明確にやらねばならないことが残っているのですが、この脈絡のない話をどこかに吐き出
このエントリは本当は年末に書こうと思っていたテーマなんですけど、結局お蔵入りにしていたやつです。少し手を加えて出します。 社会人もそろそろ3年目になろうというところで(ぼくの会社は1月で年度が切り替わるので、年次でいえばもう3年目になったのだけれど)、ある程度会社の人っぽい考え方だとか、会社の人っぽい物言いができるようになったなと思っている。良いことか悪いことかはさておいて、新しいものの考え方を身につけて、ぼくという人間の在り方が変化しているのは事実だ。会社の人っぽい物言い
本というものは、ほんとうに"取りて読め"だと思う。なんとなくで気になって買ってしまい積んでおいた本を、ふと何かの拍子で手に取ると、まるで今日の自分のために書かれたかのような文章が出てきて驚く。多分大事なのは偶然手に取ることであって、この本からこれこれの内容について何かを得ようだなんて風に考えて読み始めると(そういう読書も好きなんだけど)、視野が特定のトピックに寄ってしまうから、驚きがあまりないのかもしれない。 今日ぼくが読んだ本は、宇佐見りん『かか』。少し前に『推し、燃ゆ』で
昔から、一日一日が早く終わらないかと耐えるように苦しみながら生きてきたぼくとしては、「今年もあっという間だったね」みたいな言い回しがとにかく嫌いで、そう言われたとしても胸の内では「(そんなこと、ないですけれども)」と毎回毎回返事をしていたのですが、そろそろ屈服する時が来てしまったのかもしれないです。本当に、時間が足りない。 年始にどんなことを考えていたのかありありと思い出せてしまうし、来年なんて遠い先の話だと思っていましたから、やりたいこと何にもできていないまま一年間を費やし
欲しいものリストを"ほしいも"と略すみたいにいい感じになってくれることを期待したけれど、まるでダメだった。 このままでは労働とアイドルのこと以外喋らない人間になってしまうという危機感から、人生の中でしたいことって何があっただろうかと考え始め、人に見せたらちょっと面白そうかもと思ってnoteを開く。Amazonの欲しいものリストと違ってここに書いたところで誰かが何かを叶えてくれるわけではないけれど、なんだか面白そうと思えた。別に面白くするために書くわけではないので、リストそのも
本当にただのありふれた日記です。 今日は久々に会う先輩と都内を散歩したり、それより更に久々に会う旧知のオタクとお酒を飲んだりして、中々良い一日でした。やはり人と会うのは良い。自分一人の時間も良いんだけれど、何か新しく視野を広げるような話が出てくるのは、人と会っているときだなと感じますね。 コロナが流行って以降、ぼくはYouTubeとかを見るようになってしまって、今では何もやる気が起きない日はハンモックに寝そべってYouTubeを垂れ流したりするのですが、この世界の狭いこととい
帰り道、スマホの充電を切らしてしまって、ボーっと考え事をしながら帰った。そういう日も必要だと思う。 大学時代のぼくは、電車移動をする際になるべく本を読むようにしていた。いくらでも選択肢がある中から選び取ることって確かに素晴らしいことかもしれないけれど、それしか選択肢がないものに仕方なく向き合うことも忘れてはいけない。 本をある程度読んでいると、あるとき「これは自分のために書かれた本だ」と思えるようなものに出会う日がくるという話はよく聞くと思うけど、今回はその話でもしようかな。
最近はもう、18時を過ぎるとあっという間に日が暮れる。 今日は在宅で仕事をする日だったのだけれども、なんだか色々上手くいかなかった。だからという接続で繋がるかはわからないけど、退勤時間のタイミングで一区切りとして、髪を整え、化粧をし、デートにでも行くのかというような服装で、近くのスーパーの売れ残ってしまっているパンを回収して、公園のベンチまで歩いてきた。これが人間らしさの回復になるのかはわからないけれど、ずっと家にいてサバ缶食べているよりかはマシだと思う。 人間が恋しい。薄