見出し画像

戦う相手

私達は戦っている。武術や格闘技を習っていなくても戦っている。戦う相手は様々で、人間や動植物や天気のように現実に存在するものを相手にすることもあれば、思想やソフトウェアのような幻想を相手にすることもある。これらがごちゃごちゃ絡み合って、何と戦っているかさえよくわからなくなったりすることもある。グローバル化と情報化の急速な発展も影響していると思う。

この戦いは私達が生まれた直後に始まる。赤ん坊は未知の世界への恐怖や身体的不快のために大泣きし、母親の関心を惹こうとする。それは既に他者をコントロールするための戦いの第一歩である。

戦いの舞台から降りる方法はある。自分のエゴをなくせばいい。エゴがなければコントロール欲求も生まれず、利害相反もない。それは同時に生きることを諦めることを意味する。

私は生きたい。だからこの選択肢は取らない。しかし、戦いの舞台でずっと相手や自分を倒し続ければ、徐々にダメージが蓄積されていく。それもまた、生きることから遠ざかる道だ。

戦うのを諦めても死ぬ。戦っても死ぬ。こんな理不尽なルールの中で私達は生きていくしかない。しかし、本当にそれだけしか選択肢がないのだろうか?戦いながらも、自分も周りも壊さないで生きていく方法はないのだろうか?

それはある。戦わないための戦いをすればいい。戦わない、ということを戦略として活用する。どうしても、戦わなければならないときも、なるべく早く終わらせる。

その技術を鍛える方法は無数にあるが、私に合っていたのはシステマだった。システマのおかげで、私自身の戦いへの考え方も変化している。戦う恐怖心と向き合うトレーニングにかなり力を入れているからだと思う。

ひとまず、今の私の戦いの相手は夜更かし欲求だ。早めに寝て、低気圧に備えたい。皆さんも健康にはくれぐれもお気をつけください。


いいなと思ったら応援しよう!

太郎丸
よろしければサポートして頂けると嬉しいです。