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釈迢空(折口信夫)氏の歌論にみる短詩型文学の未来

執筆:ラボラトリオ研究員  七沢 嶺

くら闇に そよぎ親しきものゝ音。水蘆むらは、そがひなりけり
(釈迢空歌集「海やまのあひだ」雲のうへ)

折口信夫氏は民俗学者、国文学者としてだけではなく、釈迢空(しゃくちょうくう)の名で知られる詩人である。あえて歌人といわずに詩人といったのは、古典的な型に縛られない「歌人」であったからである。

短歌といえば、まずは万葉集の学習から始まる。万葉集の歌の調子が色濃く表れた歌は万葉調といわれる。壮大かつ象形的にも整った美しい表現である。しかし、折口信夫氏は、万葉調は現代人がつかう表現からは遠くなってきており、新たな現代的な表現を目指すべきではないかと提唱した。

それは必ずしも万葉調を否定するものではなく、氏自身、万葉集をすべて暗記するほど大切にしていたのである。それは、氏の随筆「万葉集研究」「万葉集に現れた古代信仰」からも汲み取ることができる。

氏はアララギ(短歌雑誌。編者らは、伊藤左千夫氏、島木赤彦氏、斎藤茂吉氏、古泉千樫氏、土屋文明氏と錚々たる歌人集団であり、万葉調の写生を重んじる歌風。)に参加していたが、歌に対する考え方の相違により、その門を去ることになる。

「君のこんどの歌は古語は使ってあっても、万葉調でないのが大分ある。短歌ではやはり遒勁(しゅうけい)流動リズムであるのが本来で、それが万葉調なのである。丸や点などの切目が間々あるが、あれも短歌を三行に書くのと似ていて少し面白くない。結句に四三調のものがなかなかある。それがどうも軽薄にひびく。万葉調は言葉の意味あいに止まっていず、語気に注意している。」
(斎藤茂吉著「釈迢空に与う」)

斎藤茂吉氏は文学者である釈迢空氏へ多大なる期待があったからこそ、アララギの歌調に響き合うものを詠んでほしいと願ったのではないだろうか。釈迢空氏は次のように返答する。

「あららぎ派の既成概念に反した態度になるのも、止むを得ぬことだと思います。だから、会員や世間を目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能わぬことなのです。古今以後の歌が、純都会風になったのに対して、万葉は家持期のものですらも、確かに、野の声らしい叫びを持っています。その万葉ぶりの力の芸術を、都会人が望むのは、最初から苦しみなのであります。あなた方は力の芸術家として、田舎に育たれた事が非常な祝福だ、といわねばなりません。この点に於てわたしは非常に不幸です。軽く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪われているのです。」
(釈迢空著「茂吉への返事 その一」)

私は、歌論とは歌人の数だけあると考えている。斎藤茂吉氏の主張も、釈迢空氏の主張も、客観的にどちらも正しいといえるのではないだろうか。

先の引用以外にも、釈迢空氏は、「短歌は滅びる」とまでいったのであるが、論理的に解釈すれば至極当然のことであろう。言葉の組み合わせ、特に短詩形文学という世界におけるそれは「その時代」において「有限」である。

しかし、言葉は時代の推移とともに、流動的に変化するという点においては、「無限」である。たとえば、片仮名語等、昔はなかった言葉が新たに創造される。句読点、改行といった表現方法も同様である。居住環境も近代化し、昔ながらの里山に触れることのできない人々もいるであろう。短詩型文学がその変化の波に乗れるように、微力ながらも努力すべきであると氏は伝えたかったのではないだろうか。その主張は土台が確固たるものであり、万葉集をすべて暗記するほどに古典の学習を極めた上での試みなのである。

心の本質はいつの時代も変わらないだろうが、心へ響くまでの過程は「その時代」によるのではないだろうか。温故知新という言葉があるように、古きものを大事にしながらも、新しさを求めていく姿勢は現代歌人に求められているかもしれない。

ラボラトリオ代表・七沢賢治氏の長年の研究は、最古と最新を同時に満たすものであり、釈迢空氏の魂と響き合うと感じている。実験祭祀学という学問の創出は、宮中祭祀学に科学的視座をもたらすものであり、科学全盛のこの時代に、人類の意識をより一層高い位置に置くものではないだろうか。


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【七沢 嶺 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。

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