隕鉄がもたらす覇権伝説
執筆:ラボラトリオ研究員 石原政樹
ナチス親衛隊が持ち帰ったチベットの仏像が隕鉄でできていた
「天沼矛神瑛體」に携わっていくうちに、隕鉄というものが時の権力者を魅了してきたことを知りました。
国内では、五稜郭の戦いで名を馳せたのちに明治政府に入った榎本武揚が、当時皇太子であった大正天皇に隕鉄でできた剣「流星刀」を献上しています。
彼は当代随一の刀工に依頼しましたが、神社に祈念しながらの懸命な努力にもかかわらず、純粋な隕鉄での製作はできず、四割の鋼を混合して作らざるを得ませんでした。
そもそも榎本が流星刀を造るきっかけになったのも、ロシア大使としてサンクトペテルブルクに赴任した際、ロシア皇帝の秘宝の中に鉄隕石で作られた刀があったことがきっかけなのです。
このほかにも隕鉄から作られた刀剣は世界に点在しており、
・インド ムガル皇帝のナイフ
・トルコ アラジャホユック遺跡のダガー 、
・エジプト ツタンカーメン王のダガー
など、装飾品や宗教儀式の道具として時の権力者を魅了してきました。
隕鉄は実際に計り知れないパワーがあるといわれます。
経営指導の神様、舩井幸雄が高く評価し共著もある神坂新太郎さんという研究者は、「銀河運動装置」というものを作り、その装置で難病を治したり、死んだ金魚を生き返らせる、という驚くべき現象を起こしました。
その神坂さんが難病を治した銀河運動装置で作った水と「同等の効果を得るものがある。それは隕鉄に漬けた水である」とおっしゃっていたのです。
あのナチスも隕鉄から未知のパワーを得ようとしていました。
ナチスの事績は今なお多くの謎に包まれていますが、UFOの開発、プラズマの研究、地底世界シャンバラの探索、チベットへのアクセスなど、列強を制圧するために未知のパワーを貪欲に研究していたようです。
前述の神坂新太郎さんも「満州の裏の帝王」甘粕正彦大尉にナチスの科学者ラインハルト・シュルツ博士を紹介され、プラズマ等の研究をしていました。
ナチスドイツは最も優秀な民族であるアーリア人の起源はチベットにあるという説を確認するため、ナチス親衛隊(SS)の長官ハインリッヒ・ヒムラーの支援を受けて探検隊を派遣しています。
1938~39年にチベットに派遣された探検隊のメンバーは全員がSS隊員でした。彼らが持ち帰ったチベットの毘沙門天像は鉄分を多く含む隕石でできていたのです。
2012年9月27日 AFPの記事によると、1938年にSSの探検隊がチベットから持ち帰った仏像は、隕石を彫って作られていたという論文が26日、科学誌「Meteoritics and Planetary Science(隕石学と惑星科学)」に発表されました。
つまり、鉄分を多く含む岩石で作られていることから「アイアンマン」と呼ばれるこのチベット仏像は、動物・民俗学者エルンスト・シェーファーが率いるSS探検隊がドイツに持ち帰ったものと考えられるのです。
仏像は高さ24センチ、重さ10.6キロの開いた右手を下に向けている毘沙門天の座像で、化学分析の結果、鉄とニッケルを多く含む「アタキサイト」という極めて珍しい隕石を彫ったものであることが分かりました。
奇しくもロシア皇帝の隕鉄の剣もアタキサイトを多く含んでいますが、これは偶然でしょうか。
研究チームに参加した独シュツットガルト大学のエルマー・ブフナー氏によると、1万5000年前にモンゴルとシベリア境界付近に衝突した隕石が原料とみられています。
毘沙門像が彫られた正確な年代は不明ですが、作風からチベットで仏教文化が確立する11世紀より前のものとみられます。
結局、ロシアの王制は倒れ、ナチス第三帝国も覇権を確立することはできませんでした。
やはり万民の幸せを考え、活用しない限り、大宇宙のエネルギーを有する隕石、隕鉄のパワーは使いこなせないということでしょうか。
【参考URL】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E6%98%9F%E5%88%80
https://www.afpbb.com/articles/-/2904113
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【石原政樹 プロフィール】
禅僧の祖父の影響で、子どもの頃から禅や各種瞑想に親しむ。
高校時代に超越瞑想を学び、その紹介書籍「TMの奇跡」から舩井(当時 船井)幸雄会長を知る。
学生時代にキャプテンを務めた剣道部の稽古の後、しばしば幽体離脱を経験。
20 代後半、10時間を超える瞑想中にエネルギーが覚醒し、一切の存在と融合するという神秘体験をする。
その後 少林拳、少林武術、太極拳、古武術、レイキ(ヴォルテックスで!)、気功、気導術、ヴィパッサナー、肥田式強健術等、を学ぶ。
崇山少林寺では14 代館長釈永信管長より、動功の免許を拝受。
ビジネスと意識の統合を目指し、舩井幸雄グループに入社後、舩井会長を通して七沢研究所代表 七沢賢治に出会う。
2016年、七沢研究所グループ ロゴストロン株式会社 代表取締役社長に就任。
2018年、同社の親会社 株式会社七沢研究所 取締役CMO(最高マーケティング執行者)に就任。
現在、neten(ネッテン)株式会社顧問・白川伯家神道を継承する一般社団法人白川学館理事・ラボラトリオ研究員を務める。
祓い・鎮魂・言霊・ロゴストロンテクノロジーこそが時代のあらゆる局面を解決できる鍵であることを実感、その普及に尽力している。
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