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言霊よもやま話 Vol.13 〈百味の飲食(おんじき)〉其の二

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰

「この御酒は吾が御酒ならず、酒(くし)の上(かみ)、常世(とこよ)にいます、石立(いはた)たす、少名御神(すくなみかみ)の献(まつ)り来し御酒ぞ」(古事記)

酒(くし)はまた薬(くし)であり、石(いは)は五十葉(いは)すなわち五十音言霊であって、石立たすとは特に五母音に立脚したという義である。物とはすなわち事であり、事は人間の行為であって、物と事とを抽象分離しては真実を捕え得ない。その事、物の核心は言霊である。 

言霊なくして物事はない。布斗麻邇は五母音、八父韻、三十二子音から成る。五母音は生命の精神的実体であって、ア(感情)、オ(経験智)、ウ(感覚)、エ(叡智)、イ(摩尼)の五である。八父韻は無相の五母音を呼び出して、これと結ばれて現象を顕すところの知性発現の契機(きっかけ)であり、時間空間の間に展開する万物の相の変化の根拠である。アオウエ四母音と八父韻の結びによって生まれる三十二子音は、時処位(じしょい)の三要素を具備する現象の単元(モナド)、実存(エクジステンス)の中核をなす質点(ポテンシャル)である。父母半母音で合計五十音となる。この言霊五十音を更に陰陽に取って、実際には百音として用いる。「下津磐根に宮柱太敷き立て」(大祓祝詞)あるごとく、この百の言霊を人類のあらゆる文明の基盤原型として、諸々の営みがこの上に組織され、経営され発展していく。文明の一端である医学もまたこの恒常不要の原則を超えるものではなく、その医学の重要部面である薬餌食餌の原理も同じく究極的にはこの布斗麻邇の原典の上に組織されなければならない。 

精神と肉体は一者である生命の表裏両面である。霊魂(生命意志・高御産巣日)と肉体(物体・神産巣日)の相関関係が生命現象である。この「天照大御神、高御産巣日神の命(御言)」といわれる完成された原理布斗麻邇の上に、いかに人類の肉体を保つ日常の食物の原則を樹立していったらよいか。 

五母音は生命の母体、実体、主体、本体、能動体である。この五を内蔵に取ればア(肝・胆)、オ(腎・膀胱)、ウ(肺・大腸)、エ(心・小腸)、イ(脾・胃)である。これを客体である主食の五穀に取るとア(粟)・オ(麦)・ウ(稗)・エ(黍)・イ(米)となる。穀物にもそれぞれの特性があって、米食の東洋人と麦食の欧米人というような、大まかな人種の区別の根拠がここに在る。八父韻が知性発現の契機であり、智(ち)はすなわち父(ち)(地)である。父母をカズイロと訓む。カズ(数)は父であり、イロ(いろは)は母である。食物としての父韻は主食以外の副食物の原則であり、人間知性発現のための物質的要素である。それには原則として八つの相がある。五穀はエネルギー源であるから、これだけ摂っていては濃やかな知情意の活動のニュアンスが顕れて来ない。

「汝の人格は汝の食物に存す」Was Du ist was Du est.というドイツの諺は主に副食物の活らきであって、複雑微妙な知的活動のためには副食の正しい配列摂取を必要とする。八父韻キシチニヒミイリは、紅赤橙黄緑青藍紫の八色、乾(けん)兌(だ)離(り)震(しん)巽(そん)欠(かん)艮(ごん)坤(こん)の八卦と説かれ、味覚で大まかにいえば甘酸苦鹹(から)の四味(辛を加えて五味)である。この四味八律を科学的原素として示すならばその成分はいかなるか。八父韻は陰陽を基調とするが、動きであり変化であるから、それは静的、固定的な弁証法的な簡単な陰陽の対立関係ではない。陽儀と陰儀は対立するが、乾の卦は陽極、坤の卦は陰極であって、乾が坤に移るためにはその間に六個の卦が動く時間的空間的過程を経て行かなければならない。

(次号につづく)

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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)


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