與謝野晶子とパルメニデス
そういえば、「與謝野晶子」は、私にとって「直観」「直感」優先の「理性」なのでしょう。
「歌にきけな/與謝野晶子「みだれ髪」もうひとつの訳
amazon.co.jp/dp/B07D6CXT9F
を、かなり以前に電子出版しました。
これは、某有名歌人が「○○語訳」として現代語「訳」をメジャー出版していて、その中にあきらかな『誤訳』、つまり、晶子が使った言葉を間違って理解している個所を見つけたのをきっかけに、SNSで毎日ひとつずつ、できる限り原歌の言葉の意味、意図に忠実に訳していったものをまとめたものでした。「訳」というのであれば、晶子が使っている言葉を正確に把握することが大前提です。それを間違って理解することは、誤訳以外のなにものでもありません。その後、「○○語訳」という表現は、この出版物から消えました。
それはさておいて、私が何故、與謝野晶子なのかと言うと、万葉集に匹敵するほどの赤裸々な、素朴な情念の発露と、源氏物語に匹敵するほどの人間心理の分析があることです。言うまでもなく、性愛がベースです。
意外かもしれませんが、パルメニデスのベースも、そうなのです!存在論的、論理的、哲学的な面にのみ注目され続けてきましたが!
ですので、『「歌にきけな/與謝野晶子「みだれ髪」もうひとつの訳』は、未完なのです。パルメニデスとつなげて初めて、ひとつの完成された作品になるのです。
前に書いた『理性と直観と、メタ理性-「パルメニデス」理解に必要なこと』の循環性は、與謝野晶子にも該当するものです。つまり、晶子は、直感ベースの理性で歌を詠んだのでしょうが、「與謝野晶子」の本質は、さらにメタ理性での反芻を経る必要があります。
そして、その先には、パルメニデスとつながる視野が展開するのです。つまり、「存在」の根拠と、それを恋焦がれる者の魂の叫びが!
この領域まで深化された「愛」であってこその「愛智 philo-sophia」ではないでしょうか。
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