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『死』=『詩』との初遭遇 - エッセイゆらぎ(4)
(小説)ゆらぎ- あまりにもあいまいな - もうひとつの「三池争議」-前/後編全文より
9. 炭住の共同浴場(後半)
「われわれはただそこに自由な開かれた世界の反映を見るだけなのだ、
しかもわれわれ自身の影でうすぐらくなってゑる反映を。」
リルケ「第八の悲歌」
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ある日、遊んでいると、大人たちが走って共同浴場に向かった。
巧も走って行った。
中年の、どす黒い顔のおじさんが横たわっていた。
銭湯の高い煙突掃除中に落ちたとのこと。
人混みをかき分けて、そのおじさんの直ぐ横に立った。
担架に乗せられたおじさんの顔が少し動いた気がした、巧の方に。
その瞬間・・「時間」が止まった。
世界が、そのおじさんと巧のふたりきりになった。
おじさんが、じーっと巧を見つめている。
もう既に、生きた「人間」ではなかったのだろう。かといって死者の目でもなかった、確実に。
しっかり瞼を開けて、独特の、どんよりした目で自分を、巧をしっかり見つめている。
恐ろしさも驚きも(未だ)ない。「死」すら未だ理解していないのだから当然である。
ただ、ひとりのおじさんと、ひとりの自分が無言で、みつめ合っている。
そんな時間が、ずーっと続いている。
時間がずーっと止まり続けている。今でも、あのおじさんとみつめ合っている。
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『死』=『詩』・・・?!
『性』と『死』と『詩』って・・関係あるって、思いませんか?!
つい、さっきまで、生活の生業であったであろう煙突掃除をしていた男が、一瞬の気の緩みで高い所から落下した・・
「生」と『死』って、隣り合わせの『現実』なんですね!
限り有る生=死すべき者が「永遠」=「時間の彼方」に一瞬でシフトする・・それが「死」なのかもしれません。それって・・「詩」じゃないですか!
この煙突掃除のおじさんが、生まれて初めての他者の「死」との遭遇だったかと思います。既に死んでいたであろう、おじさんが顔を巧の方に向けて、じっと巧を見つめている・・・あの『性』=『女』性を生まれて初めて意識した同じ場所で・・。
だからこそ、余計に、『性』=『女』性=『死』=『詩』という公式が自分の中で公理化してしまったのかもしれません。
「曇り日の影としなれる我れなれや目にこそ見えね身をば離れず」「万葉集」萩原朔太郎「恋愛名歌集」p.66
21.Feb.2025 エッセイゆらぎ