小説「ゆらぎ」(前編)から 5.蝉の鳴き声と
「さておみな
おのことともに
「愛」の芽(たね)を
ともに混ぜ合う」
パルメニデス 断片18
夏の暑い日、母のお姉さん(巧の叔母)の農家で、強烈な印象に残る体験を「初めて」した。
たぶん、それが、「初めて」の「事件」なのだろう。
この事件のために、巧は「時」が止まった。
ずっと、この「時」に居続けている。
巧の基層・深層の記憶となり、後で話す、その後の「事件」とともに、その後の生に、体内被曝のように「放射線」を出し続けている。
無意識の基底・心底から。
その最初の「事件」だった。
「事件」と言う程でもない、ありふれたことなのかもしれないけど、巧にとっては、『世界』と触れ合う「初体験」だった。
せわしなく働くお姉さん(巧の叔母)に言いつけられた遊び場所から、ふと離れたのだろう。この辺の事情は記憶にない。
・・・気が付くと、裏山の森の中にひとりで迷い込んでいた。
蝉の鳴き声が滝のようだった。
南国特有の強烈な湿気と夏の暑さと森林特有の匂いと果実の甘酸っぱい匂いと、蝉の滝・・・。
ひとりで彷徨った。
「寂しさ」というのも未だわからない。
「怖さ」というのも未だわからない。
ただ、ひとりで歩いた。
歩き続けた。
未だ、歩き初めて間もない幼児は。
ふと、時が止まった。
ずっと続く蝉の鳴き声の滝・・・世界は、それだけになった。
「永遠」という言葉も概念も未だ知らないけど、この蝉の滝の中に永遠に居続ける・・そう感じた。
「永遠」という概念も未だ持ってなかったが。
其れ以前に「時間」も未だなかったし。
強烈な太陽。
強烈な日射し。
木漏れ日。
強烈な蝉の叫び。
汗で、ぴっしょりになった。
咽(む)せるような森林の匂い。
果実の甘酸っぱい匂い・・。
時は、止まっていた。
止まり続けていた・・。
・・・ふと、思った。
なぜ、ここにいるの?
そんなこと一瞬思ったかもしれないが、ただ時が流れた。
いや、確かにそう思った・・。
その感覚は、表現し難いけど、まるで上の方から別の視点から自分を見下ろしているような。。
・・・・・不思議なものを見た。
ひと・・である。
ひとと・・ひとが、草叢(くさむら)の中で横たわって蠢(うごめ)いていた。
おんなのひとがしたになり、おとこのひとがうえになり・・はげしくうごいていた。
じっと見た。
なんの感情もなく、ただ、見た。
あいかわらず、強烈な蝉の滝と、強烈な太陽と、草叢の咽せるような青臭い匂いと・・。
草が擦れる音と・・・喘ぎ・・おとこと、おんなの・・。
誰もぼくにきづかない・・。
まるで、ぼくは、いないみたいに。
・・この世に。
・・・・・ひとは、何時(いつ)頃まで、記憶を遡れるのだろう。
幼児の頃、強烈な事件が立て続けにあったせいか、2-3歳頃の記憶が痕跡として残っている。全てのことが連続してではなく、ところどころ断片として。
しかし、強烈に記憶している。
まるで、数十年経っても、目の前に見える・・手に取るように。
空気感も臨場感も湿気も温度も光も微風も匂いも草の感触も・・・。
時間が止まっている。
時間がずっと止まり続けている。
今でも、あの蝉の森の中にいる。
・・おとこと、おんなが「行為」する前で。
ひょっとして、
ほんとうは、
ぼくは、
このよにいないのかもしれない・・。
・・・・・あれから、ひとの一生ほどの時間が経った。
『性』こそ、『実在』なのではないだろうか。
パルメニデスを読みながら、ふと、その思いが過(よぎ)った。
『性』=『実在』 との遭遇・・だった・・のかも。