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oasisを浴びる。

oasisの再結成が巷を賑わせている。
巷といっても多様化した社会ではある特定の界隈で賑わってるというレベルなんだろう。
混じり合わない世界は強制を生まないので悪くはない。(界隈の中での同調圧力という別の問題がありそうだけど)

今は火曜日の20時過ぎ。
仕事を19時過ぎまでして、コーヒー飲んで村上春樹を読んで帰って寝るだけという未来が見える。
これはこれでもちろんいい。望んだ世界ではある。

僕が気になったのは待っていても来る世界に見えたことだ。
おそらく僕は満足気味に、「騎士団長殺し」2回目だけど、こんな感じだった。あら、前回と違ってこの辺オモロいな。最高だな。
などと心の中で思いながらウキウキして家路に着く。

これは待っていても来る未来。

僕が興味があるのは迎えにいく未来だ。
昔から予定調和は苦手で、見える未来はつまらなく感じてしまう性分で、これは割りかし扱いづらい。

そして話を戻す。
いま僕は映画館の前に立っている。
前から観たかった「oasis」の映画を観ようと思う。
正直、oasisは好き過ぎて何度もこのライブ映像は観ている。これはある種予定調和に感じてしまって映画館の前で10分間立ち尽くして考えている。
観ても内容は知ってるんだよなー。相変わらずかっこいいんだろうし、正直別のライブの方が観たいな。
なんて、生意気なことを考えている。

結局チケットを買った。
理由はoasisで得たいのは情報だったのかと立ち返ったから。僕はoasisというバンドに何度も勇気づけられてきた。転職を決意したのもoasisの映画を観た瞬間だったことを覚えている。僕の人生に必要な活力である。観たことある映像かどうかとか言ってる自分を叱ってやりたい。

活力になる。栄養ドリンクのように毎朝出勤時に何百回と聴いている曲をこれから映画館で大音量で聴く。

栄養ドリンクは味が初めてだからとかで飲んでない。飲んだことある味でもエネルギーがみなぎるから飲んでいる。

僕はoasisを浴びてエネルギーを注入してくる。

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